姉小路局
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この項目では、徳川家綱時代の大奥女中について説明しています。徳川家慶時代の大奥女中については「姉小路 (和宮の大叔母)」をご覧ください。 |
姉小路局(あねこうじのつぼね、生没年不詳)は、江戸時代前期の大奥女中。江戸幕府第4代将軍・徳川家綱時代の上臈御年寄。
徳川家綱の正室・顕子女王が1657年(明暦3年)に京都から江戸に嫁いだ際に飛鳥井局と共に大奥へ入った[1]。飛鳥井局と家綱付きの御年寄である矢島局の3人が大奥を取り仕切り、久世広之や酒井忠清と協力して家綱のお世継ぎ問題に取り掛かった[2]。
しかし1676年(延宝4年)に顕子女王が亡くなると、部屋子を中臈にして新たな側室を探すことに尽くしたが、その際に矢島局と対立したと伝わる[3]。
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