姉小路聡子
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姉小路 聡子(あねがこうじ さとこ、1794年(寛政6年) - 1888年(明治21年))は、光格天皇の典侍。父は権大納言の姉小路公聡。新典侍、菖蒲小路局と称した[1]。叙従五位上。
権大納言の姉小路公聡の娘として生まれる。光格天皇の典侍として仕え、新典侍、菖蒲小路局と称した。天皇との間には1皇子(嘉糯宮)と2皇女(永潤女王・聖清女王)を生む。永潤女王は大聖寺で出家している[2]。
1888年(明治21年)、死去。墓所は京都府京都市の百万遍知恩寺。
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