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姉小路聡子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

姉小路 聡子(あねがこうじ さとこ、1794年寛政6年) - 1888年明治21年))は、光格天皇典侍。父は権大納言姉小路公聡。新典侍、菖蒲小路局と称した[1]。叙従五位上。

生涯

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権大納言姉小路公聡の娘として生まれる。光格天皇典侍として仕え、新典侍、菖蒲小路局と称した。天皇との間には1皇子(嘉糯宮)と2皇女(永潤女王・聖清女王)を生む。永潤女王は大聖寺で出家している[2]

1888年明治21年)、死去。墓所は京都府京都市百万遍知恩寺

脚注

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  1. ^ 姉小路家(羽林家)”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 2021年1月13日閲覧。
  2. ^ 第二章 天皇の后妃”. 成城大学法学部. 2021年1月13日閲覧。[リンク切れ]