姉小路高基
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時代 | 鎌倉時代後期 - 南北朝時代 |
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生誕 | 永仁6年(1298年) |
死没 | 正平13年/延文3年3月2日(1358年4月10日) |
改名 | 尹方→高基 |
官位 | 従三位・宮内卿 |
氏族 | 姉小路家 |
父母 | 父:藤原頼基 |
兄弟 | 高基、基尹 |
子 | 家綱、頼時 |
姉小路 高基(あねのこうじ/あねこうじ たかもと)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。従三位・藤原頼基の子。官位は従三位・宮内卿。
経歴
[編集]花園朝の延慶2年(1309年)従五位上、応長2年(1312年)正五位下と昇叙され、のち侍従を務めるが、正和4年(1315年)侍従を辞している。
その後20年に亘って叙位任官の記録がないが、建武3年(1336年)後醍醐天皇が吉野に朝廷を開き南北朝が分裂すると、高基は左近衛少将に任ぜられ、翌建武4年(1337年)25年振りに昇叙されて従四位下となる。その後も暦応2年(1339年)従四位上、暦応5年(1342年)正四位下・宮内卿に叙任されるなど順調に昇進し、正平2年/貞和3年(1347年)従三位に至る。
正平13年/延文3年(1358年)3月2日薨去。享年62。最終官位は散位従三位。
官歴
[編集]『公卿補任』による。
- 時期不詳:従五位下
- 延慶2年(1309年) 6月12日:従五位上
- 応長2年(1312年) 3月3日:正五位下(无官)
- 時期不詳:侍従
- 正和4年(1315年) 6月13日:辞侍従
- 建武3年(1336年) 12月26日:左近衛少将
- 建武4年(1337年) 3月1日:従四位下、去左近衛少将
- 暦応2年(1339年) 正月5日:従四位上
- 暦応5年(1342年) 3月25日:正四位下。9月7日:宮内卿。12月21日:去宮内卿
- 正平2年/貞和3年(1347年) 4月23日:従三位
- 正平13年/延文3年(1358年) 3月2日:薨去
系譜
[編集]『系図纂要』による。