コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

姉崎正治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
姉崎嘲風から転送)
姉崎 正治あねさき まさはる
人物情報
別名 姉崎 嘲風(筆名)
姉嵜 正治(異体字)
生誕 (1873-07-25) 1873年7月25日
日本の旗 日本京都府
死没 1949年7月23日(1949-07-23)(75歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 宗教学
研究機関 東京帝国大学
学位 文学博士[1]
テンプレートを表示

姉崎 正治(あねさき まさはる、1873年明治6年〉7月25日 - 1949年昭和24年〉7月23日[1])は、日本宗教学者著作家

帝国文学』共同創刊者、東京帝国大学宗教学講座初代教授、日本宗教学会初代会長、無所属倶楽部所属の貴族院帝国学士院会員議員は「嘲風」(ちょうふう)。

経歴

[編集]
出世から修学期

1873年、京都府で生まれた。父は桂宮家に仕える士族であった。少年期に仏教活動家平井金三の仏教系英学塾オリエンタルホールで英語を学ぶ[2]第三高等中学校を経て、1893年、東京帝国大学哲学科に入学。井上哲次郎ケーベルについて学ぶ。1896年、同大学同学科を卒業した。

宗教学者として

1897年には哲学館(東洋大学)で「比較宗教学」を担当、講義し、前後して、浄土高等学院(大正大学)、東京専門学校(早稲田大学)でも講義を開始した[3]。1900年より三年間、ドイツイギリスインド留学。ドイツではパウル・ドイセンヘルマン・オルデンベルクアルブレヒト・ヴェーバー、イギリスではトーマス・ウィリアム・リス・デイヴィッズに東洋学を学ぶ。1903年、帰国。

1904年、東京帝国大学教授となる。1905年には同大学神道、仏教、基督教の三教の宗教家懇談会を主催する。また、諸宗教の相互理解と協力組織の帰一協会にも尽力する。ジャパン・レビューにも寄稿した。1914年前後、服部宇之吉とともにハーバード大学に招聘され、後のハーバード燕京図書館の蔵書となる和書を寄贈した[4]。1923年から1934年には、東京帝国大学図書館長を務め、関東大震災の被害に遭った図書館の復興に尽力した。また、1930年に日本で初めて宗教学の学術研究団体として日本宗教学会が設立されると、初代会長となった[5]

1933年には、宮中の講書始の控えに選ばれ、1935年には正式に選ばれた。同年1月28日、昭和天皇に「十七條憲法の外国語譯文」と題して洋書の進講を行った[6]

1939年(昭和14年)7月22日、補欠選挙で貴族院帝国学士院会員議員に互選され[7]無所属倶楽部に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[1]。1949年、脳溢血のため死去[8]。墓所は鎌倉市妙本寺

人物

[編集]
  • 宗教学者として神道インド宗教仏教)・キリスト教新宗教を研究した。東京帝国大学宗教学講座(現・宗教学研究室)を開設、同初代教授として日本の宗教学の発展の基礎を築いた。東京大学宗教学研究室には、彼の写真が今も飾られている。
  • 学問研究の分野だけではなく、文人としても優れた才能を持ち、帝大在学中には高山樗牛らと『帝国文学』を創刊した。高山の死後、笹川臨風とともに『樗牛全集』を編集した。盛岡中学校在校中の石川啄木と交流があり、自らの主宰する雑誌『時代思潮』に啄木の詩を載せた。ベルリン大学留学中にリヒャルト・ワーグナー楽劇に魅せられ、明治末期に知識人たちの間にワーグナー・ブームを巻き起こした[9]
  • 嘲風(とうふう)は、豆腐売りの掛け声を聞いて思いついたという。
    • 花まつり - 言葉の起源とされる、1901年にベルリンで催された「Blumen Fest(ブルーメンフェスト)」の発起人の一人。

栄典

[編集]

著作

[編集]

単著(日本語)

[編集]
  • 印度宗教史』 井上哲次郎校閲 金港堂書籍、1897年
  • 『印度宗教史考:全』 井上哲次郎校閲 金港堂書籍、1898年
  • 『佛教聖典史論』 経世書院、1899年
  • 『宗教學概論』 東京専門学校出版部、1900年[11]
  • 『上世印度宗教史』 博文館、1900年
  • 『現身佛と法身佛』 有朋館、1904年
  • 『復活の曙光』 有朋館、1904年
  • 『國運と信仰』 弘道館、1906年
  • 『花つみ日記』 博文館、1909年
  • 『根本佛教』 博文館、1910年
  • 『宗教と教育』 博文館、1912年
  • 法華經行者日蓮』 博文館、1916年
  • 『大戰と戰後の新局面』 博文館、1917年
  • 『交戰國民の心理状態』 博文館、1917年
  • 『解説要本法華經の行者日蓮』 博文館、1917年
  • 『新時代の宗教』 博文館、1918年
  • 『現代青年の宗教心』 博文館、1918年
  • 『社會問題と教育問題』 博文館、1918年
  • 『世界文明の新紀元』 博文館、1919年
  • 『宗教生活と社會問題』 通俗大學會、1919年
  • 『社會の動搖と精神的覺醒』 博文館、1920年
  • 『少年裁判及監視制度』 博文館、1922年
  • 『物質文化より精神文化へ』 世界思潮研究会、1922年
  • 切支丹宗門の迫害と潜伏』 同文館、1925年
  • 『現身佛と法身佛』 前川文榮閣、1925年
  • 『切支丹禁制の終末』 同文館、1926年

単著(英語)

[編集]
  • The four Buddhist āgamas in Chinese : a concordance of thier parts and of the corresponding counterparts in the Pāli nikāyas ケリー&ウォルシュ、1908年
  • Religious history of Japan : an outline with two appendices on the textual history of the Buddhist scriptures』 1907年初版
  • Nichiren:the buddhist prophetハーバード大学出版局、1916年
  • The religious and social problems of the Orient : four lectures given at the University of California under the auspices of the Earl Foundation, Pacific School of Religionマクミラン出版社、1923年

共編

[編集]

翻訳

[編集]
"Religion des Geistes"
"Die Welt als Wille und Vorstellung"
Luigi Luzzatti "Liberti di conscienza e di scienza: studi storici del diritto constituzionale":原著はイタリア語であるが、ドイツ語版から翻訳されている。
Adams, George Plimpton "Idealism and the Modern Age"

参考文献

[編集]
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

外部リンク

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』181頁。
  2. ^ 平井金三における明治仏教の国際化に関する宗教史・文化史的研究[リンク切れ]吉永進一ほか、科研報告書、平成 16年度 ~18年度
  3. ^ 『姉崎正治集 解説』
  4. ^ 津谷喜一郎ハーバード大学イェンチン図書館の和漢医籍」『日本医史学雑誌』第39巻、第2号、日本医史学会、1993年http://jsmh.umin.jp/journal/39-2/237-243.pdf 238頁
  5. ^ 日本宗教学会略史(日本宗教学会)
  6. ^ 「講書始の奉仕者」『東京朝日新聞』昭和10年1月10日3面
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、46頁。
  8. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)2頁
  9. ^ 竹中亨 (2008). “明治のワーグナー・ブーム”. 大阪大学大学院文学研究科紀要 48: 33-65. 
  10. ^ 『官報』第1773号「叙任及辞令」1918年7月1日。
  11. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 43頁。

関連項目

[編集]
公職
先代
和田万吉
日本の旗 東京帝国大学附属図書館長
1923年 - 1934年
次代
高柳賢三
学職
先代
(新設)
日本宗教学会会長
1930年 - 1949年
次代
岸本英夫
その他の役職
先代
今沢慈海
日本図書館協会専務理事
1926年
次代
今井貫一
理事長