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姥懐古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
姥懐古墳

墳丘・石室開口部
所在地 長野県岡谷市長地横川5448-1(字丸山)
位置 北緯36度5分34.00秒 東経138度3分22.85秒 / 北緯36.0927778度 東経138.0563472度 / 36.0927778; 138.0563472座標: 北緯36度5分34.00秒 東経138度3分22.85秒 / 北緯36.0927778度 東経138.0563472度 / 36.0927778; 138.0563472
埋葬施設 両袖式横穴式石室
出土品 鉄鏃・須恵器土師器
築造時期 7世紀
史跡 岡谷市指定史跡「姥ヶ懐古墳」
地図
姥懐古墳の位置(長野県内)
姥懐古墳
姥懐古墳
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姥懐古墳(うばがふところこふん、姥ヶ懐古墳)は、長野県岡谷市長地(おさち)にある古墳。岡谷市指定史跡に指定されている(指定名称は「姥ヶ懐古墳」)。

概要

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長野県中部、横河川東岸の山麓に築造された古墳である。山麓一帯には本古墳のほかにも多くの古墳が分布する。

埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南南東方向に開口する。石室内からは、副葬品として鉄鏃・須恵器土師器が検出されている[1]。築造時期は古墳時代終末期7世紀末頃と推定される[1]

古墳域は1980年昭和55年)に岡谷市指定史跡に指定されている。

埋葬施設

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石室パース図
石室展開図

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南南東方向に開口する。石室の規模は、長さ7.1メートル・幅1.7メートル・高さ1.9メートルを測る[1]。玄室の奥壁には1枚石を使用する。側壁は持ち送り、天井はドーム状に作り出す[1]

文化財

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岡谷市指定文化財

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  • 史跡
    • 姥ヶ懐古墳 - 1980年(昭和55年)5月9日指定[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e 史跡説明板。

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(岡谷市教育委員会、1980年設置)
  • 「姥懐古墳」『岡谷市史 上巻』岡谷市、1973年。 

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 市立岡谷美術考古館 編『唐櫃石古墳・姥ケ懐古墳 -長野県岡谷市唐櫃石古墳(赤彩横穴式石室墳)及び姥ケ懐古墳発掘調査報告-(郷土の文化財9)』岡谷市教育委員会、1976年。 

外部リンク

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