嫩桂正栄
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嫩桂正栄 | |
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文永2年[注釈 1] - 文和2年/正平8年1月21日 (1265年 - 1353年2月25日) | |
諡号 | 大医禅師[1] |
宗旨 | 臨済宗 |
師 | 心地覚心 |
弟子 | 信中自敬、泰山自康[2] |
嫩桂正栄(どんけい しょうえい)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の臨済宗法燈派の僧。
経歴・人物
[編集]心地覚心の法を継ぎ、京都建仁寺の蔵典をつとめる[3]。のち諸方を遍歴後、美濃の南朝・昭慶門院領であった大桑に20余年庵居する[3]。同門に請われ紀伊興国寺の住持をつとめる[1]。そののち美濃守護土岐頼康が厚見郡に創建した霊楽山正法寺(戦国時代前期に発生した船田合戦で廃寺)にまねかれ開山となる[3]。