季弘大叔
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季弘 大叔(きこう だいしゅく、1421年9月21日(応永28年8月25日)[1] - 1487年8月25日(長享元年8月7日)[1])は、室町時代中期の臨済宗の僧である。別号は蔗軒、蔗庵、竹谷など[1]。
経歴・人物
[編集]備前の生まれ[1]。幼くして備前願心寺で出家し[1]、1433年(永享5年)東福寺の竹庵大縁の門人となる[1]。1467年(応仁元年)に大和で華厳宗及び法相宗の講義を学んだ[2]。のち、仲以篤・月泉祥洵・雲章一慶・勝剛長柔らと交わる[1]。1474年(文明6年)東福寺の塔主となり[1]、1483年(文明15年)和泉の堺にある海会寺の住職となった[1]。その後再度京都に戻り、1480年(文明12年)東福寺の第174世住職となった[2]。翌年病により再度海会寺に戻った[2]。晩年は当時の臨済宗の僧侶らと多く交流し[2]、禅僧の生活などを講義した。
五山文学僧らと親しく交わる一方で、篤い観音信仰と浄土思想の持ち主だった[1]。
主な著作物
[編集]- 『蔗軒日録』
- 『蔗庵遺稿』