孫紹
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孫 紹(そん しょう、生没年不詳)は、中国後漢時代末期から呉にかけての人物。揚州呉郡富春県の人[1]。父は孫策。
事績
[編集]黄龍元年(229年)[2]、叔父の孫権が呉の皇帝として即位すると呉侯、次いで上虞侯に封じられた。没後は子の孫奉が後を継いだ。
『三国志』の撰者である陳寿は、孫権が孫紹の位を侯に留めたことについて、自身の基を作った兄への尊崇が不十分との批判を浴びせた。これに対し孫盛はまた、孫権の処置は権力争いを生じさせないための適切なものとし、陳寿の評を批判している[3]。
また、『三国志』張昭伝注『呉録』では、張昭が孫紹・滕胤・鄭礼らと朝儀の制度を定めたと記述されるが、この孫紹が同一人物かは定かではない[4]。
家系図
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出典
[編集]- 陳寿撰、裴松之注『三国志』巻46 呉書 孫策伝(中国語版ウィキソース)