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宇佐美 敏夫(うさみ としお、1908年(明治41年)2月22日 - 1991年(平成3年)6月1日[1])は、愛知県出身[2]のフィールドホッケー選手。
1931年(昭和6年)東京商科大学本科を卒業[2]。
1932年にロサンゼルスオリンピックに代表選出され、出場した3チーム中2位で銀メダルを獲得した。フォワードとして2試合に出場した。
戦後、日本ホッケー協会名誉副会長、鳴海陶器会長を務めた[2]。
- ^ 『「現代物故者事典」総索引:昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、160頁。
- ^ a b c 『現代物故者人名辞典 1991-1993』98頁。
- 日外アソシエーツ編『現代物故者人名辞典 1991-1993』日外アソシエーツ、1994年。