宇文洛生
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宇文 洛生(うぶん らくせい、? - 528年)は、北周の宗室。莒荘公。宇文泰の兄にあたる。
経歴
[編集]宇文肱と楽浪王氏のあいだの三男として生まれた。若くして任侠を好み、武芸を尊んだ。壮年となると、施しを好み士人を愛した。葛栄が鮮于修礼を破ると、洛生は漁陽王に封ぜられ、宇文肱の残党を率いた。ときに洛生王と呼ばれ、幕下に驍勇の者を多く集めて、葛栄の軍中では最も多くの勝利を挙げた。爾朱栄が葛栄の乱を平定すると、洛生は捕らえられて晋陽に移された。洛生は爾朱栄にその勇名を憎まれ、間もなく殺害された。
561年、使持節・太保・柱国大将軍・大冢宰・大宗伯・大都督・并肆等十州諸軍事・并州刺史の位を追贈され、莒国公に追封された。諡は荘といった。
子の宇文菩提は、高歓に殺害された。宇文護の子の宇文至(字は乾附)が後を嗣いだ。宇文至が宇文護の罪に連座して殺されると、衛王宇文直の子の宇文賓(字は乾瑞)が嗣いだ。さらに斉王宇文憲の子の広都公宇文貢(字は乾禎)が嗣いだ。