出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宇遅部黒女(うじべ の くろめ、生没年不詳)は、奈良時代の女性。武蔵国豊島郡(現在の東京都千代田区・中央区・港区・台東区・文京区・新宿区・渋谷区・豊島区・荒川区・北区・板橋区・練馬区あたり)の人。
上丁(かみつよほろ)[1]の椋椅部荒虫(くらはしべのあらむし)の妻。天平勝宝7歳(755年)2月、夫荒虫が防人として筑紫に派遣された際、多摩の横山[2](現在の東京都多摩市・府中市にある丘)にて「赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ」(万葉集20-4417)という歌を詠んだ。
- ^ 律令制において課役を負った成年男子を指す。
- ^ 武蔵国から相模国に向かう道にある。
- 中西進訳『万葉集 全訳注原文付』講談社、1978年。
- 坂本太郎・平野邦雄監修『日本古代氏族人名辞典』吉川弘文館、1990年。
- 佐伯有清編『日本古代氏族事典』雄山閣出版、1994年。