宇野円空
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人物情報 | |
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生誕 |
1885年11月27日 日本京都府京都市 |
死没 | 1949年1月1日 (63歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 宗教学・民族学 |
研究機関 | 東京大学 |
学位 | 文学博士 |
宇野 円空(宇野圓空、うの えんくう、1885年11月27日 - 1949年1月1日[1])は、日本の宗教学者・民族学者。
経歴
[編集]1885年、京都市にある西本願寺派の尊徳寺で生まれた。東京帝国大学文科大学哲学科で学び、1910年に卒業[2]。大学では、マルセル・モースに師事した。同年、京都帝国大学大学院へ進んだ[3]。
1912年より佛教大学教授となった。1920年から1923年にかけて欧州(フランス、ドイツ、オランダ)に研究留学し、宗教民族学の理論的研究に従事した。1922年、龍谷大学教授となった。1926年、東京帝国大学文学部専任講師となり、1927年に助教授昇格[4]。1934年に学位論文『マライシアニ於ケル稲米儀礼』を東京帝国大学に提出して文学博士の学位を取得[5]。1942年に東洋文化研究所教授となり、1943年から1946年まで同研究所第2代所長を務めた[6]。1946年に東京大学を定年退官し、同時に名誉教授となった[7]。
受賞・栄典
[編集]研究内容・業績
[編集]宗教学から研究を開始し、宗教民族学(宗教人類学)という新しい分野を開拓した。
著作
[編集]著書
[編集]- 『宗教学概論』文信社 1927
- 『宗教民族学』人類学叢書 岡書院 1929[9]
- 『宗教学』岩波書店 続哲学叢書 1931
- 『宗教の史実と理論』同文館 1931
- 『仏教が要求する宗教生活』仏教研究叢書 大東出版社 1932
- 『修験道』東方書院 日本宗教講座 1934
- 『民族精神の宗教面』仏教新興叢書 仏教時報社 1935
- 『家庭と宗教 正信と邪教』文部省社會教育局 家庭教育叢書 1936
- 『国家の宗教的性格』日本文化協会 日本文化小輯 1936
- 『宗教的情操と仏教の理念』新更会刊行部 1938
- 『転換期の宗教』有光社 精神文化叢書 1938
- 『仏教が要求する宗教生活』大東出版社 1938
- 『マライシヤに於ける稲米儀礼』東洋文庫論叢 1941
- 『宗教学通論』八洲書房 1943
- 『仏教信仰聖話大集』国書刊行会 1977
編著
[編集]共著
[編集]- 『新修日本精神讀本』(朝日新聞社、1938(昭和13年))
- 執筆「やまとだましひ」東京帝國大學助教授文學博士 宇野圓空 / p.40。[10]
翻訳
[編集]- エミル・ブートルー『現代哲学に於ける科学と宗教』赤松智城共訳 博文館 1919
- シー・エッチ・トーイ『宗教史概論 上巻』赤松智城共訳 博文館 1922
- 『根本仏教聖典叢書 現代意訳 第2巻 中阿含経抄 経部 2」(林五邦共訳) 根本仏教聖典叢書刊行会 1923
論文
[編集]参考資料
[編集]脚注
[編集]- ^ 『著作権台帳』
- ^ 『官報』第8117号、明治43年7月13日、p.293
- ^ 『官報』第8184号、明治43年9月30日、p.574
- ^ 『東京帝国大学一覧 昭和5年度』東京帝国大学、1930年、p.390
- ^ 『官報』第2202号、昭和9年5月8日、p.208。『マライシアニ於ケル稲米儀礼』(文学博士論文)東京帝国大学、1934年4月30日。NAID 500000490901 国立国会図書館書誌ID:000010636566。
- ^ 東京大学東洋文化研究所(歴代所長)
- ^ 『東洋文化研究所の五十年』
- ^ 第32回(昭和17年5月13日) 日本学士院
- ^ 書評
- ^ 国立国会図書館書誌ID:000000639882
- ^ 宇野圓空 近代文献人名辞典.2024年2月13日閲覧。
- ^ 国立国会図書館書誌ID:000000911637