守道半四郎
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守道 半四郎[1](もりみち はんしろう、1839年12月14日(天保10年12月3日)[2][3] - 没年不明)は、日本の商人(皮革商)[1]、資産家[2][4]、名望家[5]、政治家、奈良県多額納税者[3][6]。守道皮革製造所主[7][注 1]。族籍は奈良県平民[2][3]。
経歴
[編集]奈良県北葛城郡陵西村市場(現・大和高田市市場)出身。守道半兵衛の二男[2][3]。1876年に家督を相続する[2][3]。農業[2][3]、皮革製造業[6]を営む。守道皮革製造所を経営し専ら靴、鞄、帯皮、バツキングの類を製造販売する[6]。
内外の事務に鞅掌し、みずから大阪市南区西浜に出て、店員を督励して原料皮の買入れに従事し、あるいは直接ロシア人や各方面の得意客と応接する[6]。
1889年5月、1892年5月に陵西村会議員に当選する[9]。
人物
[編集]住所は奈良県北葛城郡陵西村[2](現・大和高田市)、大阪市南区西浜中通3丁目[4](現・浪速西[10])。
家族・親族
[編集]- 守道家
- 親戚
- 岩田光造(皮革商)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『大正人名辞典 第4版』1062頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第5版』し67頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月20日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』し57頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月20日閲覧。
- ^ a b 『資産家国の光 京都府下・大阪府下・兵庫県下 大正9年3月調査』21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月20日閲覧。
- ^ 『帝国名望家大全』奈良県206頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月22日閲覧。
- ^ a b c d 『大和大観』42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月20日閲覧。
- ^ 『工場通覧 大正7年10月』970頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月20日閲覧。
- ^ 『大和北葛城郡史 上巻 (日本郡誌史料集成 近畿地方)』437頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月20日閲覧。
- ^ 『大和北葛城郡史 下巻(日本郡誌史料集成 近畿地方)』116頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月21日閲覧。
- ^ 『摂津役人村文書』24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月20日閲覧。
- ^ 『大日本紳士名鑑』奈良県15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月21日閲覧。
- ^ 『大日本帝国商工信用録 第24版』75頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月21日閲覧。
参考文献
[編集]- 吉野民司編『帝国名望家大全』吉野民司、1895年。
- 山下孝二編『大和大観』山下孝二、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 農商務省商工局工務課編『工場通覧 大正7年10月』日本工業倶楽部、1918年。
- 博信社編『大日本帝国商工信用録 第24版』博信社出版部、1918年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典 第4版』東洋新報社、1918年。
- 高木長蔵編『資産家国の光 京都府下・大阪府下・兵庫県下 大正9年3月調査』高木長蔵、1920年。
- 編集解説者 盛田嘉徳『摂津役人村文書』大阪市浪速同和教育推進協議会、1970年。
- 奈良県北葛城郡役所編『大和北葛城郡史 上巻(日本郡誌史料集成 近畿地方)』明治文献、1973年。
- 奈良県北葛城郡役所編『大和北葛城郡史 下巻(日本郡誌史料集成 近畿地方)』明治文献、1973年。