コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

安丸良夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安丸 良夫
人物情報
生誕 (1934-06-02) 1934年6月2日
日本の旗 日本富山県
死没 2016年4月4日(2016-04-04)(81歳没)
日本の旗 日本東京都
出身校 京都大学
学問
研究分野 歴史学(日本史日本思想史・宗教史)
研究機関 一橋大学
テンプレートを表示

安丸 良夫(やすまる よしお、1934年昭和9年〉6月2日 - 2016年平成28年〉4月4日)は、日本の歴史学者。専門は近世近代日本思想史、宗教史一橋大学名誉教授。

経歴

[編集]

1934年6月2日、富山県東礪波郡高瀬村(現:南砺市)に生まれる[1]。高瀬小学校(現:南砺市立井波小学校)、井波中学校富山県立福野高等学校を経て、1957年京都大学文学部史学科を卒業(国史学専攻)、1959年京都大大学院文学研究科修士課程修了(国史学専攻)[1]1962年、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学(国史学専攻)[1]

同年、名城大学法商学部に専任講師として赴任し、1966年に同大学助教授[1]1970年一橋大学社会学部助教授に転じ、1977年に教授となる[1]1980年カリフォルニア大学バークレー校1996年にはコロンビア大学にて研修[1]1998年に一橋大学を定年退官し[1]、同大名誉教授。

1997年4月より早稲田大学大学院文学研究科客員教授[1]2005年3月に退職。ほかに日本福祉大学静岡大学高知大学山口大学琉球大学熊本大学千葉大学名古屋大学京都大学大阪大学富山大学大谷大学で教鞭を執った[1]

2016年2月29日に車にはねられて入院した後、肺炎を併発し、4月4日に東京都立川市の国立病院機構災害医療センターで死去[2][3]。満81歳没。

業績

[編集]

研究内容

[編集]

民衆史学の興隆の中で『日本の近代化と民衆思想』を著し、色川大吉鹿野政直らとともに民衆思想史の第一人者として活躍した。思想史家らが論じてきた「頂点的思想家」の支配思想と異なり、通俗道徳に基づいた民衆の自己鍛練の思想を論じることで、資本主義成立期の貧農や商人の没落とそれに伴う教派神道などの民衆宗教の勃興を論じている。その後も『出口なお』、『神々の明治維新』などで近代の民衆信仰を研究し続けたほか、民衆史の退潮に伴い、『近代天皇像の形成』、『文明化の経験』など近世から近代への移行期を描く著作を多く残している。日本の歴史学や思想史学の歴史や方法にも関心が深く、『方法としての思想史』、『戦後歴史学という経験』、『現代日本思想論』などを著している。 『神々の明治維新』では、全国各地の氏神を祀ってきた神社に記紀の皇統神を合祀し、国による組織化を進めるなど、それまでの民衆の信仰とはかなり違う性質のものとなったと主張している。

教育

[編集]

指導学生に如来教研究者の神田秀雄(天理大学教授)など[4]

著作

[編集]
  • 『安丸良夫集』全6巻、岩波書店 2013。編集委員:島薗進成田龍一岩崎稔若尾政希
    • 1 民衆思想史の立場、2 民衆運動の思想
    • 3 宗教とコスモロジー、4 近代化日本の深層
    • 5 戦後知と歴史学、6 方法としての思想史

単著

[編集]

共著・編著

[編集]
校訂・注解

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 一橋大学名誉教授安丸良夫年譜」『一橋論叢』122巻2号、1999年、pp.342-343。
  2. ^ 安丸良夫さん死去 民衆思想史研究の開拓者”. 日刊スポーツ (2016年4月4日). 2016年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月28日閲覧。
  3. ^ 宮代栄一「惜別:歴史学者・一橋大名誉教授 安丸良夫さん」『朝日新聞』2016年5月14日、夕刊、2面。
  4. ^ 昭和57年度 学位授与・単位修得論文一覧」『一橋研究』第8巻第2号、一橋研究編集委員会、1983年7月、174-177頁、doi:10.15057/6235ISSN 0286-861XNAID 110007620779 

参考文献

[編集]

関連人物

[編集]

外部リンク

[編集]