安倍仲雄
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安倍 仲雄(あべ なかお、1877年(明治10年)8月1日 - 1942年(昭和17年)2月5日[1])は日本の内科医[2]。医学博士[1][2]。
経歴
[編集]秋田県北秋田郡阿仁前田村出身[2]。医師安倍全庵の長男として生まれる[2]。
秋田師範学校附属小学校、秋田尋常中学校、第四高等学校を出た後、1902年(明治35年)京都帝国大学医科大学を卒業[2]。そのまま大学院で学び[1][2]、同大学助手[2]、助教授[1]を務めた。
京都市衛生技師[1]を経て1909年(明治42年)には満洲に渡り[2]南満州鉄道医長に就任[1][2]。数々の論文を著し[2]、1910年(明治43年)医学博士の学位を得[1][2]、1911年(明治44年)南満医学堂教授となる[2]。
1912年(明治45年)から[2]1914年(大正3年)まで[1][2]アメリカ、イギリス、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、スイス、イタリア、オーストリア等の欧米諸国に遊学し、医療・衛生事情を巡察[2]。特にドイツにおいてはベルリン医科大学[1][2]第3内科教室[2]に1年余の間留学し[1][2]、脳脊髄病の[2]研究を行った[1][2]。
1914年(大正3年)に帰朝[1][2]すると郷里の秋田県へ戻り、秋田市西根小屋町に[1][2]秋田県初の医学博士[1]として内科医院を[2]開業した[1][2]。大正から昭和にかけて母校秋田中学校の校医も務め[2]、また秋田県体育協会発足時には会長に就任[3]するなど、体育・社会教育にも尽力[1]し、1916年(大正5年)、教育功労者として秋田県知事より表彰された[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 井上隆明監修、塩谷順耳ほか編『秋田人名大事典』秋田魁新報社、2000年、第2版。ISBN 4-87020-206-9。
- 秋高百年史編纂委員会『秋高百年史』秋田県立秋田高等学校同窓会、1973年。