安倍真直
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時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 正五位下・左少弁 |
主君 | 平城天皇→嵯峨天皇 |
氏族 | 阿倍小殿朝臣→安倍朝臣 |
父母 | 父:安倍三網?、安倍男笠? |
兄弟 | 真直、藤原冬嗣室 |
安倍 真直(あべ の まなお)は、平安時代初期の貴族。姓は阿倍小殿朝臣のち安倍朝臣。大宰大監・安倍三網または主殿頭・安倍男笠の子とする系図がある[1]。官位は正五位下・左少弁。
経歴
[編集]左京出身。元は阿倍小殿朝臣姓を名乗っていたが、延暦25年(806年)に同族の真出と共に安倍朝臣姓に改姓する(この時の位階は正七位上)。
大同3年(808年)平城天皇の勅命を受けて侍医・出雲広貞と共に医学書『大同類聚方』100巻を撰述した[2]。ただし、当時の真直の官職は衛門佐兼左大舎人助であり、その後も医学に関わる官職に任じられた記録が無いため、真直がなぜ医学書編纂に関与したのかは明らかでない。その後平城朝において、右大舎人助・右衛士佐・少納言・左近衛少将を歴任し、大同4年(809年)従五位上に昇叙された。
嵯峨朝の弘仁2年(811年)周防守に任じられ地方官に転ずるが、まもなく主殿頭兼豊後守と再び京官を務めた。その後、弘仁3年(812年)権左少弁、弘仁6年(815年)左少弁と弁官を歴任し、弘仁11年(820年)正五位下に至っている。
官歴
[編集]『日本後紀』による。
- 時期不詳:正七位上
- 延暦25年(806年) 正月17日:阿倍小殿朝臣から安倍朝臣に改姓
- 時期不詳:従五位下
- 大同3年(808年) 5月3日:見衛門佐兼左大舎人助相模介。5月28日:右大舎人助。7月22日:右衛士佐。9月5日:少納言、右衛士佐相模介如故
- 大同4年(809年) 2月13日:左近衛少将、侍従少納言如故。6月9日:従五位上
- 弘仁2年(811年) 7月23日:周防守。10月11日:主殿頭兼豊後守
- 弘仁3年(812年) 8月3日:権左少弁、豊後守如元
- 弘仁6年(815年) 3月13日:左少弁
- 弘仁11年(820年) 閏正月10日:正五位下
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 森田悌『日本後紀 (中)』講談社〈講談社学術文庫〉、2006年
- 森田悌『日本後紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、2007年
- 大塚恭男「安倍真直」『国史大辞典 1』吉川弘文館、1979年 ISBN 978-4-642-00501-2
- 関口力「安倍真直」『平安時代史事典』角川書店、1994年 ISBN 978-4-04-031700-7
- 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年