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安倍真直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
安倍真直
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 正五位下左少弁
主君 平城天皇嵯峨天皇
氏族 阿倍小殿朝臣→安倍朝臣
父母 父:安倍三網?、安倍男笠?
兄弟 真直藤原冬嗣
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安倍 真直(あべ の まなお)は、平安時代初期の貴族は阿倍小殿朝臣のち安倍朝臣大宰大監・安倍三網または主殿頭安倍男笠の子とする系図がある[1]官位正五位下左少弁

経歴

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左京出身。元は阿倍小殿朝臣姓を名乗っていたが、延暦25年(806年)に同族の真出と共に安倍朝臣姓に改姓する(この時の位階正七位上)。

大同3年(808年平城天皇の勅命を受けて侍医出雲広貞と共に医学書『大同類聚方』100巻を撰述した[2]。ただし、当時の真直の官職衛門佐左大舎人助であり、その後も医学に関わる官職に任じられた記録が無いため、真直がなぜ医学書編纂に関与したのかは明らかでない。その後平城朝において、右大舎人助・右衛士佐・少納言左近衛少将を歴任し、大同4年(809年)従五位上に昇叙された。

嵯峨朝の弘仁2年(811年周防守に任じられ地方官に転ずるが、まもなく主殿頭兼豊後守と再び京官を務めた。その後、弘仁3年(812年権左少弁弘仁6年(815年)左少弁と弁官を歴任し、弘仁11年(820年)正五位下に至っている。

官歴

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日本後紀』による。

脚注

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  1. ^ 宝賀[1986: 368,372]
  2. ^ 『日本後紀』大同3年5月3日条

参考文献

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