コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

安部雄能麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安倍雄能麻呂から転送)
 
安倍雄能麻呂
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 天長3年8月2日826年9月7日
官位 従四位上左馬頭
主君 嵯峨天皇淳和天皇
氏族 安倍氏
父母 父:安倍人成
テンプレートを表示

安部 雄能麻呂(あべ の おのまろ)は、平安時代初期の貴族従五位上阿倍億宇麻呂の孫。因幡守・安倍人成の子[1]官位従四位上左馬頭

経歴

[編集]

大同5年(810年薬子の変の最中に従五位下右衛士佐に叙任。のち、右衛門佐・左馬頭と武官を務める一方で、豊後介越中介上野守と地方官を兼ねる。またこの間、弘仁6年(815年)以前に従五位上、弘仁7年(816年正五位下、弘仁8年(817年従四位下、弘仁13年(822年)従四位上と嵯峨朝において順調な昇進を果たした。

淳和朝天長3年(826年)8月2日卒去。最終位階は従四位上[1]

人物

[編集]

鷹の調教に練達していたが、他に才学はなかった。高位高官に昇ったのは非常に幸運なことと評された[1]

官歴

[編集]

日本後紀』による。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 『日本後紀』天長3年8月2日条

参考文献

[編集]