日本航空安全啓発センター
安全啓発センター Safety Promotion Center | |
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施設情報 | |
正式名称 | 日本航空安全啓発センター |
専門分野 | 日本航空123便墜落事故 |
来館者数 | 176,000名(2016年2月末日現在) |
館長 | 金崎豊 |
事業主体 | 日本航空 |
管理運営 | 日本航空 |
延床面積 | 約1,000m2 |
開館 | 2006年(平成18年)4月24日 |
所在地 |
〒144-0041 日本 東京都大田区羽田空港3-5-1 JALメインテナンスセンター1 6階 |
位置 | 北緯35度32分31秒 東経139度47分21秒 / 北緯35.54194度 東経139.78917度座標: 北緯35度32分31秒 東経139度47分21秒 / 北緯35.54194度 東経139.78917度 |
アクセス |
東京モノレール羽田空港線・新整備場駅より徒歩5分 (駐車場は無い) |
外部リンク | 安全啓発センター |
プロジェクト:GLAM |
日本航空安全啓発センター(にほんこうくうあんぜんけいはつセンター、単に安全啓発センターとも)は、日本航空(以下、JAL)が航空安全を啓発するために運営する教育・展示・研修施設である。
概要
[編集]開設当初、東京都大田区の東京国際空港(羽田空港)第2総合ビル2階にあり、東京モノレール・整備場駅から徒歩5分圏内の場所にあったが、2013年(平成25年)9月30日を以って一時閉館し、同年12月10日より新整備場駅近くにあるJALメインテナンスセンター1内6階に場所を移し、再び開館された。
安全啓発センターの主な目的は、JALグループ社員の安全意識の確立である[1]。主な展示は1985年に起きた日本航空123便墜落事故に関するものである[2]。
沿革
[編集]1985年(昭和60年)8月12日、東京国際空港(羽田空港)18:00発・大阪国際空港(伊丹空港)行きの日本航空123便は、群馬県多野郡上野村にある高天原山(御巣鷹の尾根)に墜落した[3]。単独機による墜落事故としては世界最悪の犠牲者数、前例のないものであった[4]。 事故から遡って1978年(昭和53年)に起きた「日本航空115便しりもち事故」で、ボーイング747の後部圧力隔壁にボーイングによって不適切な修理が行われたのが原因で、致命的な構造的欠陥を引き出したことにより、墜落事故は発生した[5]。
2004年(平成16年)に、JALグループに度重なる重大インシデントが起き、国土交通大臣より安全に関する業務改善命令を受けたことにより、科学・航空・危機管理で著名な作家、柳田邦男を座長とする、外部の安全に関する専門家5名で構成される第三者調査委員が、2005年(平成17年)にJALによって設立された。委員会は、安全啓発センターの構築を推奨した[6]。
2006年(平成18年)4月24日、安全啓発センターが開館[7]、金崎豊が館長となった[6]。安全啓発センターの主な目的の一つが、JAL従業員の安全意識の確立であった[1]。2012年(平成27年)からは、JALグループの社員35,000人に、安全啓発センターの見学を義務づけた[8]。
事故から30年が経過した2015年(平成27年)には、JAL従業員の9割以上が事故後の1986年(昭和61年)以降の入社となる中[8]、年間延べ2万人が訪れ[9]、同年9月18日には秋篠宮文仁親王と紀子妃が安全啓発センターを視察している[10]。
2024年1月10日には同年1月2日に発生した羽田空港地上衝突事故で炎上したJA13XJの残骸を将来的にこのセンターで保存するために国土交通省やエンジンメーカーに相談していることが報道された[11]
所在地
[編集]安全啓発センターは開設当初、東京国際空港整備区域の特徴のない日本航空ビル内、東京モノレール羽田空港線整備場駅近辺にあったが[1]、2013年(平成25年)10月1日に閉館し[12]、同年12月10日より東京モノレール羽田空港線新整備場駅付近のM1ビル内6階に移設されている[13]。
無料で一般公開されているが、JALグループ従業員の社員教育が優先されるため事前予約が必要で、施設が指定した集合時間に参集して見学する形となり、12歳未満の見学はできない[1]。
展示
[編集]後部胴体や尾翼の残骸、後部圧力隔壁、ボイスレコーダー、フライトデータレコーダーのグラフ、破壊されたエコノミークラスの座席、救命胴衣、乗客の腕時計、事故に関する新聞記事、そして事故の様子を捉えた写真が展示され、また図書室が附属しており、社員研修に使用されている。一般人の訪問時には、安全啓発センターの職員によるガイドが付く。
事故機は、トラブル発生後直ちに墜落した訳ではなく、乗客が遺書や家族に宛てた手紙を書く時間があった。それらのうち幾つかが展示されている[6]。また、JALにおける他の歴史的な航空機事故をも展示している[1]。
移転前の安全啓発センターの床面積は622 m2[7]だったが、移転後はおよそ1,000 m2[13]に拡大された。
脚注
[編集]- ^ a b c d e “安全啓発センター”. 2015年10月20日閲覧。
- ^ “JAL's Safety Promotion Center with 1985 jet wreckage opens. Industry & Business Article - Research, News, Information, Contacts, Divisions, Subsidiaries, Business Associations” (2006年4月24日). 2010年9月18日閲覧。
- ^ TIME (2005年6月21日). “Last Minutes of JAL 123,”. 5. 2010年9月18日閲覧。
- ^ Magnuson, Ed (2005年6月21日). “Disasters: Last Minutes of JAL 123”. Time 2010年5月23日閲覧。
- ^ “ASN Aircraft accident description Boeing 747SR-46 JA8119 - Ueno”. 2010年9月18日閲覧。
- ^ a b c Stanley, Bruce (2006年7月27日). “Japan Airlines exhibits contrition for '85 crash”. Pittsburgh Post-Gazette 2010年9月18日閲覧。
- ^ a b “JAL、安全啓発センターを開設” (2006年4月19日). 2010年9月18日閲覧。
- ^ a b “日航機墜落から30年―事故を知らない社員が9割以上に”. ニュースイッチ (日刊工業新聞). (2015年8月12日) 2016年5月30日閲覧。
- ^ 吉野太一郎 (2016年3月11日). “「見たくない人は多かった。でも...」日航機墜落事故の遺族が、機体保存を望んだ理由【「遺す」とは】” (日本語). ハフィントンポスト 2016年5月30日閲覧。
- ^ “秋篠宮ご夫妻 日航機墜落事故の展示施設を視察”. テレ朝ニュース (テレビ朝日). (2015年9月18日) 2016年5月30日閲覧。
- ^ 炎上したJAL旅客機、日航が機体の保存検討「安全の教訓伝える貴重な現物」
- ^ 『日本航空安全啓発センター見学のご案内』(プレスリリース)2013年。オリジナルの2013年7月29日時点におけるアーカイブ 。2017年2月25日閲覧。
- ^ a b “日航ジャンボ機事故、展示施設が移転・再開 安全へ誓い新た”. 日本経済新聞. (2013年12月10日) 2018年7月29日閲覧。
参考文献
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関連項目
[編集]- 御巣鷹の尾根
- 日本航空
- 日本航空の歴史
- 事故の歴史展示館 - 東日本旅客鉄道(JR東日本)が運営する鉄道事故の説明施設。(一般非公開)
- 鉄道安全考動館 - 西日本旅客鉄道(JR西日本)が運営する鉄道事故の説明施設。(一般非公開)
外部リンク
[編集]- 安全啓発センター - 日本航空
- 安全アドバイザリースタッフ - 日本航空
- JALプレスリリース:安全啓発センターを開設