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池田安喜子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安喜子女王から転送)
安喜子女王
久邇宮家、池田家
続柄 久邇宮朝彦親王第3王女

身位 女王降嫁
敬称 殿下 →降嫁
出生 1870年7月6日
日本の旗 日本
死去 (1920-01-19) 1920年1月19日(49歳没)
日本の旗 日本
配偶者 池田詮政侯爵
子女 一覧参照
父親 久邇宮朝彦親王
母親 泉萬喜子
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池田 安喜子(いけだ あきこ、明治3年6月8日1870年7月6日[1] - 1920年1月19日)は、侯爵・池田詮政の妻(後妻)。久邇宮朝彦親王の三女。母は泉萬喜子香淳皇后は姪、第125代天皇・明仁上皇)や常陸宮正仁親王は大甥にあたる。皇族時代の名と身位は安喜子女王

生涯

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1890年(明治23年)12月24日池田章政侯爵の嫡男池田詮政に降嫁した[2]。夫との間に、三男二女を産む。

1909年(明治42年)6月1日、夫:詮政と死別。

1920年(大正9年)1月18日、長男禎政スペインかぜで早世。安喜子自身も1月19日に逝去[3]。逝去に伴い、多数の皇族が服喪した[3]

なお、昭和天皇の第4皇女・順宮厚子内親王とその夫池田隆政は、安喜子の血筋を通じて久邇宮朝彦親王の曾孫同士となる。

血縁

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 『纂輯御系圖』(松成堂、1903年)、p.203(NDLJP:1085748/121
  2. ^ 明治23年宮内省告示第30号(『官報』第2249号、明治34年12月25日)(NDLJP:2945503
  3. ^ a b 『官報』第2237号「宮廷録事」、大正9年1月21日(NDLJP:2954350/4
  4. ^ a b c d e f 『人事興信録』第8版(1928年7月)、「池田宣政」の項