安国寺 (加東市)
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安国寺 | |
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山門 | |
所在地 | 兵庫県加東市新定851[1] |
位置 | 北緯34度53分13.8秒 東経135度2分44.1秒 / 北緯34.887167度 東経135.045583度座標: 北緯34度53分13.8秒 東経135度2分44.1秒 / 北緯34.887167度 東経135.045583度 |
山号 | 東渓山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
創建年 | 暦応2年(1339年) |
開山 | 固山一鞏 |
開基 | 足利尊氏 |
別称 | 播磨安国寺 |
文化財 | 宝篋印塔(市指定有形文化財) |
法人番号 | 2140005016711 |
安国寺(あんこくじ)は、兵庫県加東市にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は東渓山。本尊は十一面観世音菩薩。
歴史
[編集]足利尊氏が後醍醐天皇をはじめとする南朝の戦没者の菩提を弔うために日本全国68か所に建てた安国寺のひとつ。
嘉吉の乱で播磨守護赤松満祐に暗殺された室町幕府第6代将軍足利義教のものだとされる宝篋印塔の首塚がある[1]。
嘉吉元年(1441年)6月24日に嘉吉の乱を起こして足利義教を暗殺した赤松満祐は、義教の首を奉じて播磨国河合(現・小野市)の堀殿城に入った。その後、足利氏ゆかりの当寺まで大行列を作って首を運び、播磨国の禅僧を多数集めて盛大な法要を営んで葬ったと伝えられている。しかし、7月1日になって幕府の使者・季瓊真蘂が来て義教の首の返還を要求したため、満祐は首を返還している。
境内
[編集]文化財
[編集]加東市指定有形文化財
[編集]- 宝篋印塔 - 総高173センチ。凝灰岩製[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c “安国寺 足利義教公首塚”. 加東市観光協会. 2024年10月2日閲覧。
- ^ “市指定文化財 宝篋印塔(安国寺)”. 加東市HP. 加東市. 2024年10月2日閲覧。