安子島祐高
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時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 治部大輔(受領名) |
主君 | 蘆名義広 |
氏族 | 安子島氏 |
父母 | 安子島右衛門大夫 |
安子島 祐高(あこがしま すけたか)は、安土桃山時代の武将。陸奥国安積郡安子島城主。
略歴
[編集]安子島氏は安積伊東氏の一門にして有力な庶家であったが、戦国時代に奥州管領二本松氏に随身し、祐高の父・右衛門大夫の代までその傘下にあった[1] [2]。
天正14年(1586年)8月二本松義綱が二本松城から退去すると、伊達政宗に降って所領を安堵されて[3][4]、 田村家に付属されたが[5]、天正16年2月同じく伊達家に降っていた高玉常頼、荒井政頼と共に大内定綱の挙兵に呼応して離反。 蘆名家に従属した[6]。
その後、伊達氏が南奥州の覇権をかけて会津の黒川城主・蘆名義広と合戦に及ぶと、安積郡の諸勢力の悉くが伊達方に与する中で高玉・荒井氏と共に蘆名方に留まった[7]。
祐高は籠城して伊達方に抗戦の構えを見せるが、圧倒的な兵力差の前に伊達成実の許へ使者を送って[7] 降伏し、城兵の助命を引き換えに退去[8]。 会津に落ち延びたという。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 本宮市史編纂委員会 編『本宮町史4 資料編1 考古・古代・中世』本宮町、1999年。
- 三春町 編『三春町史 第7巻 資料編1 自然・原始・古代・中世資料』三春町、1978年。
- 太田亮編『姓氏家系大辞典第1巻』(角川書店、1963年)
- 宮城県姓氏家系大辞典編纂委員会編『宮城県姓氏家系大辞典』(角川書店、1996年)