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安岡喜郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

安岡 喜郎(やすおか よしろう)は、日本テレビプロデューサーラジオディレクターバップ代表取締役社長(日本テレビ社長室出向局次長現職出向)。

日本テレビでチーフプロデューサー、業務部長、編成局次長、日テレアックスオン専務取締役を歴任した。

広島県出身。修道高等学校卒業。早稲田大学卒業[要出典]

来歴・人物

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  • 1983年ニッポン放送に入社。 1994年まで在籍し、「オールナイトニッポン」のディレクターとして伊集院光を育て上げ、「伊集院光」という芸名も安岡が名付けた[1]。『伊集院光のオールナイトニッポン』では、伊集院とともに架空のアイドル・芳賀ゆいの仕掛け人ともなった。またニッポン放送時代は「鬼ディレクター」として恐れられ、伊集院自身も三遊亭楽太郎(後の6代目三遊亭円楽)に次いで彼を頭の上がらない人の一人として挙げている。また伊集院がTBSに移った後にしばらく経って自宅の電話権を調べた際、誰の名義かわからず最終的には安岡の縁者だったことが判明した。2021年6月に行われた三遊亭円楽・伊集院光二人会には、祝花を贈るなど未だに親交が続いている。
  • 他に同じアイドルものとしては、『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』において『マセキ里穂』『長女隊』などの期間限定アイドルを企画し、送り出した。
  • 寺内壮(寺内たけし)のオールナイトニッポン』(1987年10月から約1年間、火曜2部)でもキューを振っていた(伊集院はこの番組にも出演)。この番組では寺内に『私が寺内たけしです』という大きな看板を街中で持たせていたが、これは安岡の発案だった[2]
  • デーモン小暮のオールナイトニッポン』のディレクター時代には『ダダダダ大徹』で知られる、南野陽子の一言から作った『大徹ラップ』を製作している。
  • 1996年に日本テレビに転職。当時の編成局制作部に配属となり、吉川圭三の下で『特命リサーチ200X』や『世界まる見え!テレビ特捜部』などを手がけた。
  • 2004年6月にチーフプロデューサーに昇格。桜田和之から番組を引き継ぎ『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』や『踊る!さんま御殿!!』などを担当。2006年7月には制作現場からはずれて制作局業務部長になったが、2007年7月1日制作局(旧バラエティー局)CPに復帰。吉川圭三の人事異動により、吉川の番組を引き継いだ。
  • 以来、制作局業務部長時代の1年間を除いてバラエティ番組制作一筋で活躍。2013年頃からは制作局次長を兼務し、日テレのバラエティ番組制作の現場を陰で支えてきた。
  • 2015年6月1日付で、編成局次長兼アナウンスセンター長に就任。担当していた番組を糸井聖一、伊東修らに引き継ぎ制作現場を離れる。
  • 糸井や伊東の他、後にチーフプロデューサーに昇格して安岡の担当番組を引き継いだ中村英明、面高直子、加藤幸二郎森實陽三遠藤正累ら日テレのバラエティ番組の担当プロデューサー・ディレクターを数多く育成した実績も残した。特に加藤幸二郎は安岡と仕事を共にした期間が一番長く、さらにはチーフプロデューサーに昇格後は安岡が担当していた番組を一番多く引き継いだ。安岡が制作現場を離れたと同時期に、加藤も制作現場から外され制作局長代理となり重責を勤め上げ、その後日テレのグループ会社の社長に抜擢されている。
  • 2016年6月1日付で、社長室出向局次長として現職出向、日テレアックスオン専務取締役に就任。
  • 2018年6月6日付で、バップ代表取締役社長に就任。

担当していた番組

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ニッポン放送時代

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 伊集院光深夜の馬鹿力』(TBSラジオ)2002年7月29日放送回より。
  2. ^ ラジオパラダイス』(三才ブックス)1988年7月号特集『これが史上最強のオールナイトニッポン2部だ!』より。