安岡雄吉
表示
安岡 雄吉(やすおか ゆうきち、1854年4月21日(嘉永7年3月24日[1])- 1920年(大正9年)11月1日)は、明治期の官僚、政治家。勲四等旭日章。大東亜戦争の際、終戦詔勅の起草文を刪修した陽明学者安岡正篤の祖父にあたる。
経歴
[編集]土佐国幡多郡中村(高知県中村市)出身。安岡良亮の長男として生まれる。上京して大学南校、慶應義塾に学ぶ。
1878年(明治11年)、内務省に入る、元老院御用掛を経て後藤象二郎の大同団結運動に参加。1892年(明治25年)、第2回衆議院議員総選挙に吏党系から出馬し、自由党の片岡健吉・林有造を破るが、松方内閣が行った選挙干渉が問題となり、訴訟の結果当選無効となってしまった。1897年(明治30年)から1899年(明治32年)まで欧州各国を視察。1904年(明治37年)、衆議院議員に当選し、一期務めた。
家族
[編集]脚注
[編集]- ^ 衆議院『第二十回帝国議会衆議院議員名簿』〔1904年〕、26頁。
参考文献
[編集]- 三田商業研究会編 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月、565-566頁 。(近代デジタルライブラリー)