コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

安崎暁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

安崎 暁(あんざき さとる、1937年3月3日 - 2018年5月26日)は、日本実業家小松製作所代表取締役社長や、日本建設機械工業会会長、国家公安委員会委員などを務めた。

人物

[編集]

1937年に陸軍大学校学生安崎操(のちに陸軍中佐第6方面軍参謀や、自衛隊陸将東北方面総監を歴任)の長男として、東京で生まれ、徳島県吉野川市鴨島町で育つ[1]。1959年3月一橋大学社会学部卒業。中国経済史専攻。1961年3月一橋大学経済学部を卒業。理論経済学専攻[2]。大学時代は小笠原流弓道部に所属[3]。後年には、私費を投じて大学の弓道場の建て直しを行った[4]

1961年4月小松製作所入社。同社では主に国際部門を担当し、海外事業展開を進めた[5]。貿易研修センター一期生[3]。また1982年には野村ビジネススクールにも参加し、同スクール同期のKDD元社長の西本正、元セコム会長の杉町寿孝、元三和総合研究所理事長の原田和明、元財務官榊原英資、元三菱商事取締役の武部晃二、元日本貿易保険理事長の今野秀洋、元WOWOW会長の佐久間曻二とは、その後も「八人の会」として交流が続いた[6]

1995年小松製作所社長に就任。土木建設などの不採算事業からの撤退を行う一方、エレクトロニクス事業を建機と並ぶ経営の柱に育成した。また建機不況の中、投資を続け、ITを用いた生産や在庫を最適化する基幹システムの構築や、グローバル化を推し進め、その後の会社の発展の基盤を作った[7][4]。1998年11月、藍綬褒章受章。2012年5月、旭日重光章受章[8][9]

日中経済協会副会長等も務めた。趣味はゴルフや、妻とチェスをすること[10]。一男二女で横浜市在住[11]。2006年から2016年まで、私費を投じて郷里吉野川市の小中学校教員を海外に送る「海外教育見聞事業」を行った[12]。2017年、末期の胆嚢癌等が見つかり12月にANAインターコンチネンタルホテル東京生前葬を開催した[13][14][15]。2018年5月26日、胆嚢癌のため神奈川県の自宅で死去[16]

略歴

[編集]
  • 1937年3月 徳島県吉野川市出身
  • 1955年3月 東京都立新宿高等学校卒業
  • 1959年3月 一橋大学社会学部卒業
  • 1961年3月 一橋大学経済学部卒業
  • 1961年4月 株式会社小松製作所入社
  • 1981年10月 株式会社小松製作所 社長室管理部長
  • 1984年2月 株式会社小松製作所 営業本部営業総務部長 兼 ディーラ業務部長
  • 1985年3月 株式会社小松製作所 取締役 海外事業本部副本部長 兼 業務部長
  • 1985年9月 株式会社小松製作所 商事部長 兼 海外事業本部副本部長 兼 業務部長
  • 1986年12月 株式会社小松製作所 総務・管財・広報宣伝・関係会社・情報システム管掌 兼 経営企画室副室長 兼 関係会社部長
  • 1987年5月 小松フォークリフト 監査役
  • 1987年7月 株式会社小松製作所 取締役 経営企画室副室長 兼 営業本部副本部長
  • 1987年10月 株式会社小松製作所 取締役 営業本部長
  • 1988年8月 株式会社小松製作所 取締役 営業本部長
  • 1988年11月 株式会社小松製作所 常務 営業本部長 兼 地下建機事業管掌
  • 1989年6月 株式会社小松製作所 常務 新事業推進管掌 兼 経営企画室長 兼 関係会社管掌
  • 1990年6月 株式会社小松製作所 常務 経営企画室長 兼 新事業推進本部長
  • 1991年 株式会社小松製作所 専務
  • 1992年5月 株式会社小松製作所 専務 国際事業本部長 兼 建機事業本部長 兼 建機事業企画室長
  • 1995年6月 株式会社小松製作所 社長
  • 1996年5月 日本建設機械工業会会長
  • 2001年6月 株式会社小松製作所 会長
  • 2001年2月 国家公安委員会委員
  • 2003年6月 株式会社小松製作所 取締役相談役
  • 2005年6月 株式会社小松製作所 特別顧問
  • 2007年3月 昭栄株式会社 取締役
  • 2007年7月 株式会社小松製作所 顧問
  • 2008年6月 エーザイ株式会社 取締役 指名委員会委員長 報酬委員会委員
  • 2008年10月 東京徳島県人会会長(第10代)
  • 2012年 東京徳島県人会名誉会長[17]
  • 2013年7月 安崎暁グローバル企業発展研究会会長
    • 財団法人日中経済協会副会長、財団法人日本花の会理事長、立川国際カントリー倶楽部株式会社代表取締役会長、花のまちづくりコンクール推進協議会会長等も務めた。

著書

[編集]
  • 安崎暁/西藤輝/渡辺智子 合著『日本型ハイブリッド経営』ダイヤモンド社、2010年
  • 安崎暁主宰の“安崎暁グローバル企業発展研究会”編訳 『聚变』上海社会科学院出版社、2014.8
  • 安崎暁著 『无所畏惧的信念』(私家版「夢を蒔く」の中国語版)、寧波出版社 2017.8

脚注

[編集]
  1. ^ 1998年5月24日, 日本経済新聞
  2. ^ 1997年12月4日, 日経産業新聞1995年6月24日、日本経済新聞
  3. ^ a b 2005年5月10日, 日本経済新聞
  4. ^ a b 「末期がん元社長 最期の選択」日本放送協会12月14日 20時15分
  5. ^ 1995年5月23日, 日本経済新聞、1995年5月23日, 日経産業新聞
  6. ^ 2003年11月19日, 日経産業新聞
  7. ^ 2009年6月6日本経済新聞、2001年5月7日, 日本経済新聞
  8. ^ 『官報』号外98号、平成24年5月1日
  9. ^ 春の叙勲 旭日大綬章に大橋元全日空会長ら”. SankeiBiz (2012年4月30日). 2012年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月8日閲覧。
  10. ^ 1993年3月24日, 日本経済新聞
  11. ^ 徳島新聞2008/10/13
  12. ^ 「「終活」新聞広告話題 東京徳島県人会の安崎元会長」徳島新聞2017/12/6 21:23
  13. ^ 「末期がん、元気なうちに「感謝の会」 元コマツ社長の安崎さん 」日本経済新聞2017/12/11 20:47
  14. ^ 「末期がん公表 コマツ 安崎元社長「感謝の気持伝える会」開催」NHK12月11日 17時25分
  15. ^ 「末期がんのコマツ元社長、感謝伝える「生前葬」」読売新聞2017年12月12日 08時20分
  16. ^ 「元コマツ社長 安崎暁氏が死去 17年末に生前葬」日本経済新聞2018/5/31 12:00
  17. ^ 「「終活」新聞広告話題 東京徳島県人会の安崎元会長」徳島新聞2017/12/6 21:23

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
先代
片田哲也
小松製作所社長
1995年 - 2001年
次代
坂根正弘
先代
岡田元
日本建設機械工業会会長
1996年 - 1998年
次代
熊本昌弘