安徽省 (汪兆銘政権)
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汪兆銘政権 安徽省 | |
← 1940年 - 1945年 → | |
簡称:淮
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簡体字 | 安徽 |
繁体字 | 安徽 |
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拼音 | Ānhuī |
カタカナ転記 | アンフイ |
国家 | 汪兆銘政権 |
行政級別 | 省 |
政府所在地 | 蚌埠県 |
成立 | 1940年 |
消滅 | 1945年 |
面積 | |
- 総面積 | km² |
人口 |
沿革
[編集]中華民国維新政府が1938年(民国27年)10月28日に設置した安徽省を前身とする。
1940年(民国29年)9月19日、汪兆銘政権は政治委員会第21次会議で中華民国維新政府の安徽省政府を改編することを決定、省会を蚌埠県と定め、下部に盱眙、鳳陽、嘉山、来安、滁県、全椒、天長、五河、懐遠、鳳台、寿県、会肥、巣県、含山、和県、当塗、蕪湖、宣城、繁昌、懐寧、望江、無為、定遠、桐城、宿松の各県を管轄した。1944年(民国33年)9月に銅陵、貴池、東流、旌徳、郎渓の各県及び定淮特別区、興淮特別区がその所管とされている。
県政監督のための行政専員公署は8区設置され、1944年(民国33年)3月に、第1、2区が、7月に第3、6、8区が、8月に第4、5、7区が設置されている。
歴代省長・省政府主席
[編集]省長
[編集]- 倪道烺:1940年3月30日 - 1940年9月20日
- (中華民国維新政府から継続して留任)
省政府主席
[編集]- 倪道烺:1940年9月20日 - 1943年1月20日
省長
[編集]関連項目
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