安東連実
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 永禄10年7月7日(1567年8月11日) |
別名 | 通称:四郎、善内兵衛 |
官位 | 蔵人 |
主君 | 戸次鑑連→鎮連 |
氏族 | 藤姓安東氏 |
父母 | 父:安東家忠 |
兄弟 | 連実、連善、連忠、由布惟定室 |
妻 | 十時惟安娘(十時惟忠妹) |
子 | 連直(彦右衛門尉) |
安東 連実(あんどう つらざね)は、戦国時代の武将。豊後国戸次氏の家臣。
略歴
[編集]藤姓安東氏は藤原氏の秀郷流の流れを汲むとされる、鎌倉時代以降に豊後を中心に九州北部に広がった一族。
戸次氏家老の安東家忠の長男として誕生。戸次鑑連・鎮連に仕える。鑑連の命により鑑連の養嗣子である鎮連附きとなる。数度の軍役に参加し、永禄10年(1567年)7月7日に 筑前国宝満山の戦い[1]に従軍するが九峰で討死する。家督相続前の討死であり、連実の遺腹出生の子であった連直には討死の加恩が与えられた。