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安東連実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
安東連実
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 永禄10年7月7日1567年8月11日
別名 通称:四郎、善内兵衛
官位 蔵人
主君 戸次鑑連鎮連
氏族 藤姓安東氏
父母 父:安東家忠
兄弟 連実連善連忠由布惟定
十時惟安娘(十時惟忠妹)
連直(彦右衛門尉)
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安東 連実(あんどう つらざね)は、戦国時代武将豊後国戸次氏の家臣。

略歴

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藤姓安東氏藤原氏秀郷流の流れを汲むとされる、鎌倉時代以降に豊後を中心に九州北部に広がった一族。

戸次氏家老安東家忠の長男として誕生。戸次鑑連鎮連に仕える。鑑連の命により鑑連の養嗣子である鎮連附きとなる。数度の軍役に参加し、永禄10年(1567年)7月7日に 筑前国宝満山の戦い[1]に従軍するが九峰で討死する。家督相続前の討死であり、連実の遺腹出生の子であった連直には討死の加恩が与えられた。

脚注

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  1. ^ 高橋鑑種討伐の可能性が高いが『柳河藩享保八年藩士系図・上』の立花善内系図では筑紫広門との戦いとしている。

出典

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  • 『柳川歴史資料集成第二集 柳河藩享保八年藩士系図・上』 柳川市史編集委員会編・ 福岡県柳川市 1996年平成8年)発行
  • 『柳川歴史資料集成第二集 柳河藩享保八年藩士系図・下』 柳川市史編集委員会/編 福岡県柳川市 1997年(平成9年)3月発行