安田善衛
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安田 善衛(やすだ よしえ、1876年〈明治9年〉2月10日 - 没年不詳)は、日本の実業家。元保善社理事。
人物・経歴
[編集]安田忠兵衛の長男として生まれる。幼名、芳次郎。1895年に家督を相続した。群馬商業銀行頭取、京都銀行頭取、第三銀行取締役、安田商事取締役、安田銀行取締役[1]、保善社理事等を歴任した。1921年に安田善次郎が死去すると、安田善四郎、安田善助とともに保善社理事を辞任した[2][3]。
牛込区(現、新宿区)納戸町に居住したほか[1]、中央本線豊田駅北口に屋敷を、平山橋北の七生村大名淵(だいみょうぶち)にも別荘を所有し、浅川の別荘対岸に桜並木を植えたり、趣味の篆刻で豊田駅の駅名看板を作成して寄付するなどした。屋敷に能舞台を設置し、謡曲の教授なども行った[4][5]。
日野尋常高等小学校豊田分教場(現、日野市立豊田小学校)では、優秀な卒業生に送る安田賞を創設した[4]。1950年代の別荘取壊し時に移築された敷地内の稲荷は、平山季重神社の祠として整備され、2005年に50年ぶりに建て直されるまで使われた[5]。
親族
[編集]父は安田忠兵衛[1]。安田善次郎は伯父[6]。妻テルは塩屋方圀の長女。妹ちせは安田善八郎の妻。安田善弥は弟[1][7]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 「安田善衛 (男性)」日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
- ^ 小早川洋一「安田善次郎死後の安田財閥の再編成 - 結城・森改革の過程と意義について -」『経営情報学部論集』第1巻第1号、中部大学経営情報学部、1985年1月、27-42頁、ISSN 0910-8874、CRID 1050845763477988992。
- ^ 宇田川勝「財閥の改革者 ―結城豊太郎と池田成彬― (日本の企業家活動シリーズ No.40)」法政大学
- ^ a b 第15話 安田善衛と安田賞野市郷土資料館
- ^ a b 季重神社日野市観光協会
- ^ 六車美保「吉田包春と奈良女子大学所蔵正倉院模造宝物」人間文化研究科年報 = Annual reports of Graduate School of Humanities and Sciences (32), 167-176, 2016
- ^ 「安田善彌 (男性)」日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース