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安田善雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安田善雄

安田 善雄(やすだ よしお、1888年明治21年)11月9日 - 1923年大正12年)9月3日)は、日本実業家保善社理事や、第三銀行頭取東京建物社長などを務めた。

人物・来歴

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初代安田善次郎の四男・小六郎として生まれ、2歳で安田眞之助養子となり家督を相続した[1]。1919年第三銀行頭取[2]東京建物社長[3]東京火災保険社長、安田銀行監査役桂川電力監査役、安田商事監査役等も歴任した[1]。1921年には保善社の理事に就任したが[4][5]、1923年の関東大震災において本所区本所横網(現墨田区横網)の安田家本邸で火災に巻き込まれ、震災翌日の9月2日に妻子の焼死体とともに発見され、陸軍軍医学校に搬送されたが3日に死去した。享年36。同居していた兄の安田善五郎一家は無事だった[6][7][8]

親族

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父は初代安田善次郎。2代目安田善次郎安田善五郎は兄。妻文は渡邊廉吉の五女[1]

脚注

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  1. ^ a b c 安田善雄 (男性)人事興信録データベース(名古屋大学)
  2. ^ 「(株)富士銀行『富士銀行百年史. 別巻』(1982.03)」渋沢社史データベース
  3. ^ 「東京建物(株)『信頼を未来へ : 東京建物百年史』(1998.01)」渋沢社史データベース
  4. ^ 小早川洋一「安田善次郎死後の安田財閥の再編成 - 結城・森改革の過程と意義について -」『経営情報学部論集』第1巻第1号、中部大学経営情報学部、1985年1月、27-42頁、ISSN 0910-8874CRID 1050845763477988992 
  5. ^ 宇田川勝「財閥の改革者 ―結城豊太郎と池田成彬― (日本の企業家活動シリーズ No.40)」 (PDF) 法政大学
  6. ^ 「安田善雄氏の最後」,新生社編『震災叢書. 第3編 (震災惨話)』新生社、大正12(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 安田保善社『安田保善社とその関係事業史』(1974.06)渋沢社史データベース
  8. ^ 「Vol.4 東京建物」東京街人
先代
安田善四郎
第三銀行頭取
1919年 - 1923年
次代
安田善四郎