安藤袈裟一
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安藤 袈裟一(あんどう けさいち、1881年(明治14年)6月 - 1931年(昭和6年)9月29日[1])は、朝鮮総督府官僚。従四位勲五等[2]。
経歴
[編集]佐賀県出身。1912年(明治45年)、京都帝国大学法科大学法律科を卒業し、1915年(大正4年)に高等文官試験に合格した。埼玉県警部、同秩父郡長を務めた。1919年(大正8年)、朝鮮総督府事務官に転じ、黄海道警察部長、平安南道警察部長、平安北道警察部長、京畿道警察部長、鉄道局参事、忠清南道内務部長、全羅北道内務部長、京城府尹、咸鏡北道知事を歴任した。
1931年(昭和6年)9月29日、病気のため死去、50歳[3]。死没日をもって正五位から従四位に叙される[2]。
脚注
[編集]- ^ 「故朝鮮総督府咸鏡北道知事安藤袈裟一位階追陞ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11114072200
- ^ a b 「故安藤知事に叙位の御沙汰」『朝鮮新聞』朝鮮新聞社、1931年10月8日、夕刊、1面。2024年3月28日閲覧。
- ^ 「咸鏡北道知事安藤袈裟一儀」『朝鮮新聞』朝鮮新聞社、1931年10月1日、朝刊、5面。2024年3月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。