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安部秋彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安部 秋彦
生誕 1878年12月14日
日本の旗 日本 大分県宇佐郡若林村(現宇佐市
死没 1950年
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1902年 - 1932年
最終階級 陸軍少将
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安部 秋彦(あべ あきひこ、1878年明治11年〉12月14日[1] - 1950年昭和25年[2]〉)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

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大分県[1][3]宇佐郡若林村(津房村安心院町を経て、現宇佐市)出身[2]。安倍寛吾の四男[2]1902年(明治35年)陸軍士官学校第14期卒業[1][3]

1928年(昭和3年)3月に陸軍砲兵大佐・野砲兵第8連隊長、1930年(昭和5年)8月に近衛師団兵器部長を経て、1932年(昭和7年)8月8日に陸軍少将に進級と同時に待命、同月30日に予備役に編入した[1][3]

退役後は軍需会社顧問を歴任した[2]1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

脚注

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  1. ^ a b c d 福川 2001, 31頁.
  2. ^ a b c d 安心院町誌編集委員会 1970, 700頁.
  3. ^ a b c 外山 1981, 191頁.
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」1頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 安心院町誌編集委員会 編『安心院町誌』安心院町誌編集委員会、1970年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9769133