安部秋彦
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安部 秋彦 | |
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生誕 |
1878年12月14日 日本 大分県宇佐郡若林村(現宇佐市) |
死没 | 1950年 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1902年 - 1932年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
安部 秋彦(あべ あきひこ、1878年〈明治11年〉12月14日[1] - 1950年〈昭和25年[2]〉)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]大分県[1][3]宇佐郡若林村(津房村、安心院町を経て、現宇佐市)出身[2]。安倍寛吾の四男[2]。1902年(明治35年)陸軍士官学校第14期卒業[1][3]。
1928年(昭和3年)3月に陸軍砲兵大佐・野砲兵第8連隊長、1930年(昭和5年)8月に近衛師団兵器部長を経て、1932年(昭和7年)8月8日に陸軍少将に進級と同時に待命、同月30日に予備役に編入した[1][3]。
退役後は軍需会社顧問を歴任した[2]。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 安心院町誌編集委員会 編『安心院町誌』安心院町誌編集委員会、1970年 。