宋文憲
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宋文憲 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 송문헌 |
漢字: | 宋文憲 |
発音: | ソン・ムンホン |
宋 文憲(そう ぶんけん、ソン・ムンホン、朝鮮語: 송문헌、1892年(高宗29年 / 明治25年)6月16日 - 1970年8月24日[1])は、明治から昭和にかけての朝鮮総督府官僚。日本名は山木文憲[2]。位階は正五位、勲位は勲四等[2]。平安北道参与官、朝鮮総督府中枢院参議などを歴任した宋文華は兄[1]。
経歴
[編集]1892年に漢城府で生まれた。1911年(明治44年)官立漢城外国語学校を卒業[2]。1912年(明治45年)から朝鮮総督府に奉職し[3]、1915年(大正4年)から碧潼郡書記、博川郡書記、龍仁郡書記を歴任した[3]。1920年(大正9年)朝鮮総督府内務局勤務を経て[3]、1923年(大正12年)に青松郡守に昇進し、醴泉郡守、尚州郡守を歴任[3]。1930年(昭和5年)に慶尚北道理事官兼内務部産業課長に昇進し[3]、慶尚南道産業課長、京畿道産業課長、江原道参与官、咸鏡南道参与官を経て[3]、1940年(昭和15年)に創氏改名。1942年(昭和17年)1月に黄海道知事に任ぜられた。同年10月には忠清南道知事に転じ[2]、1945年6月16日まで在任した。道知事在職時には国民総力黄海道連盟、国民総力忠清南道連盟会長を兼任し[1]、1942年(昭和17年)にシンガポール陥落を祝い、月刊誌「東洋之光」に寄稿した[1]。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年 。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1942年 。