宗像氏男
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 永正9年(1512年) |
死没 | 天文20年9月1日(1551年9月30日) |
改名 | 氏男→黒川隆像 |
主君 | 大内義隆 |
氏族 | 宗像氏 |
父母 |
父:宗像氏続[注釈 1]または宗像氏佐 養父:宗像正氏(黒川隆尚)[注釈 2] |
妻 | 正室:宗像正氏娘・菊姫 |
子 | 国丸(氏隆) |
宗像 氏男(むなかた うじお)は、戦国時代の宗像大社79代大宮司[1]。
略歴
[編集]永正9年(1512年)、宗像氏続または宗像氏佐の子として誕生。氏続の兄・宗像正氏(黒川隆尚)の養子となる。その後、大内義隆に仕え、偏諱を受け黒川 隆像(くろかわ たかかた)と改名する[2]。
天文20年(1551年)9月1日、大寧寺の変で主君・義隆が自害したのに伴い殉死する[3]。
氏雄と表記された文書も残る[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 伊東尾四郎 1930, p. 54.
- ^ 貝原益軒 & 益軒会 1910b, p. 25.
- ^ 貝原益軒 & 益軒会 1910a, p. 25.
- ^ 伊藤常足 1910, p. 351.
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 伊藤常足「宗像郡上」『太宰管内志』 上巻、日本歴史地理学会、1910年、351頁。doi:10.11501/766660。 NCID BN07265508。OCLC 1402531424。NDLJP:992413 。2024年10月14日閲覧。
- 貝原益軒、益軒会「山口村 円通院」『筑前国続風土記』 13巻、益軒全集刊行部、1910a、25-27頁。doi:10.20730/100334857。 NCID BD02951665。OCLC 44265089。NDLJP:992413 。2024年10月14日閲覧。
- 貝原益軒、益軒会「山田村」『筑前国続風土記』 17巻、益軒全集刊行部、1910b、11-17頁。doi:10.20730/100334857。 NCID BD02951665。OCLC 44265089。NDLJP:992413 。2024年10月14日閲覧。
- 伊東尾四郎「宗像氏関係史蹟」『史蹟名勝天然紀念物調査報告書』 第5輯、福岡県〈福岡県文化財調査報告書〉、1930年、53-57頁。doi:10.24484/sitereports.84362。 NCID BN07677403。OCLC 1281480607。NDLJP:1214465 。2024年10月14日閲覧。