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宗像氏男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
宗像氏男/黒川隆像
時代 戦国時代
生誕 永正9年(1512年
死没 天文20年9月1日1551年9月30日
改名 氏男→黒川隆像
主君 大内義隆
氏族 宗像氏
父母 父:宗像氏続[注釈 1]または宗像氏佐
養父:宗像正氏(黒川隆尚)[注釈 2]
正室:宗像正氏娘・菊姫
国丸(氏隆
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宗像 氏男(むなかた うじお)は、戦国時代宗像大社79代大宮司[1]

略歴

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永正9年(1512年)、宗像氏続または宗像氏佐の子として誕生。氏続の兄・宗像正氏(黒川隆尚)の養子となる。その後、大内義隆に仕え、偏諱を受け黒川 隆像(くろかわ たかかた)と改名する[2]

天文20年(1551年)9月1日、大寧寺の変で主君・義隆が自害したのに伴い殉死する[3]

氏雄と表記された文書も残る[4]

脚注

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注釈

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  1. ^ 氏佐の子で氏続の弟とする説もある。
  2. ^ 伯父・氏続の兄。

出典

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  1. ^ 伊東尾四郎 1930, p. 54.
  2. ^ 貝原益軒 & 益軒会 1910b, p. 25.
  3. ^ 貝原益軒 & 益軒会 1910a, p. 25.
  4. ^ 伊藤常足 1910, p. 351.

関連項目

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参考文献

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