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定勝寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
定勝寺
所在地 長野県木曽郡大桑村大字須原831-1
位置 北緯35度41分41.2秒 東経137度41分19.3秒 / 北緯35.694778度 東経137.688694度 / 35.694778; 137.688694座標: 北緯35度41分41.2秒 東経137度41分19.3秒 / 北緯35.694778度 東経137.688694度 / 35.694778; 137.688694
山号 浄戒山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来
創建年 嘉慶年間
開山 初屋
開基 木曾親豊
中興 香林恵巖
正式名 淨戒山 定勝禪寺
札所等 木曾西国三十三観音霊場二十一番
木曽七福神霊場(布袋尊)
文化財 山門本堂庫裏(国指定重要文化財
法人番号 5100005007612
定勝寺の位置(長野県内)
定勝寺
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定勝寺庫裏

定勝寺(じょうしょうじ)は、長野県木曽郡大桑村須原にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は浄戒山。木曾西国三十三観音霊場二十一番。木曽七福神霊場(布袋尊)。

歴史

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嘉慶年間(1387年 – 1388年)に木曾親豊が先祖の追善の為に、須原観心坊を改めて、寺として木曽川河畔に創建して開基、初屋が開山したとされる[1]

文安5年(1448年)、七堂伽藍を備えていたとされる最初の建物は、木曽川の氾濫により流失した。

享徳3年(1454年)4月に木曾家賢が再建し、鎌倉浄智寺香林恵巖が、四世となって中興開山した。

享徳4年(1455年)3月3日付の木曾家賢から香林恵巖への譲渡状が現存している。

永禄4年(1561年)、大洪水によって流失した。

天正7年(1579年)、六世の玉林聖賢が、上松義豊の上松館の隣に玉林院を開山した。

天正18年(1590年)、木曾義昌は、徳川家康関東移封に伴い、家康から下総国阿知戸[2]に1万石を与えられて木曽谷を去った。その後、豊臣秀吉の重臣であった石川光吉が木曾代官となったが、木曾氏ゆかりの定勝寺・興禅寺 (長野県木曽町)長福寺 (長野県木曽町)・の三箇寺に対し、次のように保証した。

木曾谷中寺々 信義ニ非分之義在之間敷候 間可被得其意候 可被得其意候 随分可令馳走候 恐々謹言」 八月廿四日 石川兵蔵 光吉 (判) 長福寺 興禅寺 定勝寺 御道宿中[3]

文禄4年(1595年)8月、木曽川で大洪水があり、再び流損した。

慶長3年(1598年)、当時木曾代官であった石川光吉が、木曾義在の居館跡に現在の伽藍を建立した[4]

これについて『吉蘇志略』には、「寺僧傳え言う、此寺本河岸にあり、文禄四年乙未八月洪水にて流凶す、今は其地を呼び寺中島という。其後石川備前守光吉これに移す、是れ木曾義在の館の遺趾なり」と記されている。

江戸時代前期に作られた『木曾惣圖』によると、定勝寺は義元館趾とあり、寺中島は現在の和村橋付近の河原のことである。

文化11年(1814年)に読本作者の秋里籬島が発行した『木曽路名所図会』に堂宇の全景が描写されている。

明治13年(1880年明治天皇中山道御巡幸の時に、庫裏の書院にて御昼食をとられた。

昭和24年(1949年)5月28日に、山門・本堂・庫裏が、桃山文化の特色があるとのことで、国の重要美術品に認定された。

昭和27年(1952年)3月29日に、山門・本堂・庫裏が国の重要文化財に指定された。

木曽町興禅寺長福寺とともに木曽三大寺のひとつとも言われている。

日本最古の「蕎麦切り」(一般的に言われる「そば」)に関する文書が発見されている。

また、定勝寺には戦国時代に木曽谷を支配した木曽義昌の位牌が安置されているほか、

昭和40年(1964年)10月5日、営林署から払い下げを受けた木曽ヒノキを使用して京都七条仏所の橋本忠円が作つた「定勝だるま」大坐像の開眼供養を行った。

平成5年(1993年)、長野県岡谷市出身の小口基實によって枯山水庭園が作庭された。

境内

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二千八百九十坪 (但官有地第四種)

山門をくぐって境内に入ると、本堂と庫裏が並んでいる。山門に比べると一転して雄大で豪壮な造りで美しい妻壁を見せた庫裏の白壁と黒い木組みの調和が美しい。

山門

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文化財の項に記載

本堂

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幅広い板敷は、鴬張りになっている方丈形式で、中央の仏間と室中、左に上間(じょうかん)と呼ばれる書院、右の玄関に近い方は下間(げかん)と呼んでいる。仏間のみ板敷で中には四本柱を立てて仏壇を設け、本尊の釈迦如来像を安置してある。他は畳敷きとなっている。上間には木曽ヒノキの大木で彫った見事な達磨大師の像が安置され、禅寺の雰囲気を醸し出している。

庫裏

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入口から参拝が許されている。入口を入ったところに土間と広い板の間で大きな炉が切ってあり、上の梁から自在鉤[5]が下がっている。天井を張らずに屋根裏のままとしてあり、梁組みは堂々たるものである。

庫裏附渡り廊下・玄関

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東側居間には書院が設けてある。次の間には立派な違い棚があり、御座の間は、一間の床と床脇には書院がある。入側に面した白い障子と竪桟菱欄間が禅寺らしい風格を見せている。

位牌堂

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大正末期から昭和の始めにかけて、二十七世の物外文淨の代に、祖師堂・開山堂・開基堂を兼ねて檀信徒の位牌を安置するために本堂の裏へ接続して建てられた妻入り瓦屋根の建物で、用材は伊奈川国有林から出されたケヤキ材須弥壇も同時の建築で、その周囲の板敷は鴬張りである。

宝蔵

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庫裏の裏にあった土蔵(穀蔵・宝物蔵・味噌蔵)の中で、昭和5年(1930年)に穀蔵を解体し移転の形で新築したものである。

阿弥陀堂

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昭和7年(1932年)、位牌堂の新築材の残材を使用して新築した。

鐘楼堂

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昭和8年(1933年)上ノ山のヒノキの払い下げを受けて尺角柱の頑丈な材で建て替えた。大梵鐘は人間国宝日本芸術院会員の香取正彦の作である。(平和余韻第10号)

樵月斎

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木小屋

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十王堂

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冠木門

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文化財

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  • 重要文化財(国指定)重文指定年月日 昭和27年(1952年)3月29日
    • 山門  万治4年(1661年)建立。切妻造、檜皮葺の四脚門である。
    • 本堂  江戸時代前期(1615~1660年)建立。桁行19.0m、梁間12.2m、一重、入母屋造、銅板葺。
    • 庫裏附渡り廊下、玄関  本堂に向かって承応3年(1654年)建立。桁行21.9m、梁間14.0m、一重、切妻造、南面庇付、妻入、銅板葺。

寺宝

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画軸

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  • 文殊ノ画    呉道子筆  木曾親豊が寄附
  • 十王ノ画    陸信忠筆  木曾親豊が寄附
  • 十六羅漢ノ画  禅月大師筆 木曾家賢が寄附
  • 観音ノ画    牧谿筆   木曾家賢が寄附
  • 梅ノ画     揚補之筆  木曾義昌が寄附
  • 山水ノ画    米元章筆  木曾義昌が寄附
  • 龍虎ノ画    牧渓筆   木曾義昌が寄附
  • 十六善神ノ画  兆殿司
  • 達磨ノ画    狩野元信
  • 朱衣達磨ノ画        石川光吉が寄附

木像

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  • 本尊仏(釈迦三尊)  室町時代の作と伝わる。
  • 韋駄天像      鎌倉時代の作と思われる。
  • 十三仏像       文明16年(1484年)2月2日、木曾家盛が兄の木曾家豊の一周忌法要のために寄進されたことが厨子背面に朱文字で記されている。 
  • 十王仏像      一体に貞享2年(1685年)丑年三月十六日の銘がある。
  • 達磨大師像     脊面の銘に元禄5年(1692年)と、七年菩提のために寝覚の柱、長谷川氏寄進とある。
  • 開山像       享保年間に安置されたと思われる。

定勝寺文書

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定勝寺は多数の中世古文書を所蔵することで名高い。ここには、康正2年(1456年)の木曾家定文明15年(1483年)の木曾家盛、延徳3年(1491年)の木曾義定天文16年(1547年)の木曾義在永禄4年(1561年)の木曾義康の5証文と、某年2月の木曾玄徹、某年7月の木曾義昌の2書及び、永禄丑(1565年)8月の義昌の証文の計8通の写がある。

末寺

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アクセス

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参考文献

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  • 『大桑村誌 下巻』第六編 現代の歩み 第二章 発展する大桑 五 教育・文化 (三)大桑村の寺院 1 定勝寺 p756~p769 大桑村 昭和63年
  • 『大桑村の歴史と民話』 第七章 大桑村の神社仏閣 第二節 仏閣 一、定勝寺 p310~p312 志波英夫 1978年
  • 『図説・木曽の歴史 (長野県の歴史シリーズ ; 19)』 定勝寺 p44~p45 生駒勘七 郷土出版社 1982年
  • 『寺と神社(信州の文化シリーズ)』 定勝寺 p104 信濃毎日新聞社 1981年
  • 『探訪・信州の古寺 第Ⅲ巻 <禅宗>』 定勝寺 p210 郷土出版社 1996年

外部リンク

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脚注

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  1. ^ 『探訪・信州の古寺 第Ⅲ巻 <禅宗>』 定勝寺 p210では、永享2年(1430年)の創建としている。
  2. ^ 千葉県旭市網戸)
  3. ^ 定勝寺文書
  4. ^ 吉蘇志略
  5. ^ 囲炉裏や竈などの上に吊り下げ、それに掛けた鍋・釜・やかん等と火との距離を自由に調節できるようにした鉤。