宝幢若公
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時代 | 室町時代前期 |
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生誕 | 至徳2年/元中2年(1385年)3月 |
死没 | 至徳4年/元中4年1月14日(1387年2月3日) |
氏族 | 足利氏(足利将軍家) |
父母 | 父:足利義満、母:加賀局(柳原殿) |
兄弟 | 尊満、宝幢若公、義持、義嗣、義教、大覚寺義昭ほか |
宝幢若公(ほうどうじゃくこう)は、室町時代の足利将軍家の一族。室町幕府の第3代将軍・足利義満の次男。同第4代将軍・足利義持と同第6代将軍・足利義教の異母兄に当たる。庶長子の尊満とは同母兄弟である。宝幢寺の造営中に義満側室の加賀局(柳原殿)が産んだ男子のために宝幢若公と称したが、わずか3歳で夭折した[1]。
脚注
[編集]- ^ 臼井信義『足利義満』(新装版)吉川弘文館〈人物叢書〉、1989年、240頁。ISBN 4-642-05150-3。