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宝蔵寺久雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宝蔵寺 久雄
生誕 1889年10月28日
日本の旗 日本 佐賀県
死没 (1940-02-26) 1940年2月26日(50歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年 - 1940年
最終階級 陸軍中将
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宝蔵寺 久雄(寶藏寺 久雄、ほうぞうじ ひさお、1889年明治22年)10月28日 - 1940年昭和15年)2月26日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将功三級[2]

経歴・人物

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佐賀県出身[1]。父方の従弟は海軍大佐の永石光次1911年(明治44年)陸軍士官学校第23期卒業、陸軍砲兵少尉に任官[1][3]。その後、1918年大正7年)陸軍大学校に入学し、1921年(大正10年)同校第33期卒業[1]。この間、砲兵から航空兵に転科。

1934年(昭和9年)12月より陸軍大学校教官を経て、1935年(昭和10年)8月に陸軍航空兵大佐浜松陸軍飛行学校教官となる[2]。その後、1936年(昭和11年)8月に飛行第10連隊長、1937年(昭和12年)11月に第2飛行集団参謀長、1938年(昭和13年)7月に陸軍少将・第7飛行団長を経て、1939年(昭和14年)7月に白城子陸軍飛行学校長となる[1][2]

翌年の1940年昭和15年)2月25日、公務のため満州から東京へ飛行中に京都府綴喜郡大住村付近にて墜落[4]京都衛戍病院に搬送されたが、他5名の搭乗者と共に翌日殉職[4][注 1]。没後、陸軍中将に特進した[1][2]

著作

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  • 『砲兵戦術講授録 応用之部』陸軍大学校将校集会所、1932年。
  • 『海鼠は祈る : 満洲国旅行記』新知社、1933年。
  • 『欧洲旅行記』干城堂、1935年。

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 他4名の殉職者は、岡田己三夫陸軍少尉、辻俊春陸軍航空兵中佐、根本功陸軍航空兵准尉、土井義夫陸軍航空兵准尉、黒沢功陸軍技手。

出典

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  1. ^ a b c d e f 『日本陸軍将官辞典』647頁。
  2. ^ a b c d 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』301頁。
  3. ^ 『官報』第8557号、明治44年12月27日。
  4. ^ a b 『大阪朝日新聞』、昭和15年2月26日。
  5. ^ *秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年、8頁「朝枝繁春」。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。