宝蔵院 (葛飾区)
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宝蔵院 | |
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所在地 | 東京都葛飾区奥戸8-5-19[1] |
位置 | 北緯35度44分5.7秒 東経139度52分7.1秒 / 北緯35.734917度 東経139.868639度座標: 北緯35度44分5.7秒 東経139度52分7.1秒 / 北緯35.734917度 東経139.868639度 |
山号 | 青旧山[2] |
院号 | 宝蔵院 |
宗旨 | 新義真言宗[2] |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 阿弥陀如来[2] |
創建年 | 応永2年(1395年) |
中興年 | 慶長17年(1613年) |
中興 | 海運[注釈 1] |
別称 | 和光寺[2] |
札所等 | 南葛八十八ヶ所霊場第7番札所、新四国四箇領八十八ヵ所霊場24番札所 |
文化財 | 木造薬師如来立像(葛飾区指定有形文化財) |
法人番号 | 1011805000538 |
宝蔵院(ほうぞういん)は、東京都葛飾区にある真言宗豊山派の寺院。新四国四箇領八十八箇所霊場第24番札所[3]。
概要
[編集]1395年(応永2年)に開山した。その後、1538年(天文7年)の国府台合戦の戦火により伽藍は焼失したが、1613年(慶長17年)に海運によって中興した[4]。
境内には、薬師堂があり薬師如来が安置されている。これは、宝暦事件の首謀者竹内式部の門下生で、公家の徳大寺公城の家臣だった本堂良喜と公城の娘が当寺に落ち延びて仏門に入り、薬師如来を安置して師匠の菩提を弔ったものである。そういう経緯から、いつしか「式部薬師」と呼ばれるようになった[4]。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 入本英太郎、橋本直子 著『葛飾区史跡散歩 (東京史跡ガイド22)』学生社、1993年
- 「奥戸新田 宝蔵院」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ26葛飾郡ノ7、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763979/30。
- “宝蔵院への行き方を知りたいのですが。”. 葛飾区 (2016年9月26日). 2020年8月6日閲覧。