宣言若しくは信条
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宣言若しくは信条 | ||
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著者 | 植村正久 | |
発行日 | 日本1924年 | |
ジャンル | 神学 | |
国 | 日本 | |
言語 | 日本語 | |
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宣言若しくは信条(せんげんもしくはしんじょう)は、植村正久の著書。
ファンダメンタリズムの訳語としての、キリスト教根本主義の語がここではじめて使われている[1]。
この論文は言語霊感を逐語霊示と呼び、「文字崇拝の聖書推尊説」としてこれを拒否している。
植村はキリストの贖罪について、「キリストの死はいかなる意味において、いかなる仕方でその効力を現わすものであるか。これらの問題に立ち入り、詳細なる説明を試みんとすれば、或いは政治的贖罪説も出よう。或いは道徳的感化説も唱えられるであろう。或いはいわゆる根本主義者のごとき説を主張するものも起ころう。・・・・一教会の意見として宣言書を発するに当たり、或る一つの贖罪説をその項目に加うることは穏当ではない。況やこれを信条の中に加うることは大いなる間違いである。」とした。
ここから、植村の贖罪観は神学的な厳密さを欠くと指摘されている。[2][3]
植村神学は簡易信条主義であったと言われている[4][5]。しかし、日本の教会が異教に抗するために必要であったのは、植村が重視しなかった信仰告白であったとする指摘がある。[6]
脚注
[編集]- ^ 月刊「いのちのことば」 2004年6月号-9月号連載宇田進著「「原理主義」と「福音主義」」
- ^ 岡田稔著『岡田稔著作集』収録「植村・高倉神学の行方」
- ^ 宇田進著『福音主義キリスト教と福音派』p.158
- ^ 小野静雄著『日本プロテスタント教会史』上p.164
- ^ 藤掛順一日本伝道150年と連合長老会
- ^ ジョン・M.L.ヤング著『天皇制とキリスト教』p.59