宥勝寺
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宥勝寺 | |
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宥勝寺の山門 | |
所在地 | 埼玉県本庄市栗崎155 |
位置 | 北緯36度12分59.2秒 東経139度11分00.9秒 / 北緯36.216444度 東経139.183583度座標: 北緯36度12分59.2秒 東経139度11分00.9秒 / 北緯36.216444度 東経139.183583度 |
山号 | 西光山[1] |
院号 | 無量寿院[1] |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 不動明王[1] |
創建年 | 建仁2年(1202年) |
開基 | 良運[1] |
正式名 | 西光山 無量寿院 宥勝寺 |
札所等 |
関東八十八箇所86番 関東百八地蔵尊霊場17番 児玉三十三霊場19番 武州十二支霊場亥年霊場 |
文化財 | 庄頼家の墓(埼玉県指定文化財) |
公式サイト | 宥勝寺公式HP |
法人番号 | 5030005009087 |
宥勝寺(ゆうしょうじ)は、埼玉県本庄市栗崎にある真言宗智山派の寺院。山号は西光山。詳しくは西光山無量寿院宥勝寺と称する。本尊は不動明王。
歴史
[編集]寺伝によると建仁2年(1202)有荘氏(後に本庄氏)により開創された。始め有道宿弥武承惟行五世の孫児玉党旗頭、有荘太郎家長の嫡子小太郎頼家が寿永3年(1184)一の谷の合戦で戦死したので、その妻が菩提を弔うため法印良運を京より迎え一寺を建立、有荘寺と号し自らも得度して妙清禅尼となった。
これより前、有道惟行は沙門空海巡礼の地、浅見山に一寺を建て阿弥陀如来を安置し西光寺と称していた。 延年2年(1337)新田足利の兵火で焼失、天文6年(1538)北条、上杉の戦国兵乱の時無住になった。 荒廃するを惜しみ紀州根来寺より僧頼暁来り、天文24年(1556)西光、有荘の両寺を合併して一寺となし、西光山無量寿院宥勝寺と改称された。 爾来、末寺四十数ケ寺を有する地方有数の名刹となり、慶安元年(1648)良弁僧都の時、徳川家よりご朱印十石を賜る。
文化財
[編集]- 荘小太郎頼家の墓
寺宝
[編集]- 本尊不動明王 - 木造 (伝 興教大師御作)
- 胎蔵大日如来像・日輪大師像・阿弥陀如来像 - 木造
- 荘小太郎頼家形見の古扇面
- 伝弘法大師筆般若心経一巻
- チベット砂曼荼羅(十一面観音曼荼羅)
- 両界曼荼羅
- 十二天図
その他
[編集]交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 新編武蔵風土記稿 栗崎村.