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宥勝寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宥勝寺
宥勝寺の山門
宥勝寺の山門
所在地 埼玉県本庄市栗崎155
位置 北緯36度12分59.2秒 東経139度11分00.9秒 / 北緯36.216444度 東経139.183583度 / 36.216444; 139.183583座標: 北緯36度12分59.2秒 東経139度11分00.9秒 / 北緯36.216444度 東経139.183583度 / 36.216444; 139.183583
山号 西光山[1]
院号 無量寿院[1]
宗派 真言宗智山派
本尊 不動明王[1]
創建年 建仁2年(1202年
開基 良運[1]
正式名 西光山 無量寿院 宥勝寺
札所等 関東八十八箇所86番
関東百八地蔵尊霊場17番
児玉三十三霊場19番
武州十二支霊場亥年霊場
文化財 庄頼家の墓(埼玉県指定文化財)
公式サイト 宥勝寺公式HP
法人番号 5030005009087 ウィキデータを編集
宥勝寺の位置(埼玉県内)
宥勝寺
宥勝寺
宥勝寺 (埼玉県)
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宥勝寺(ゆうしょうじ)は、埼玉県本庄市栗崎にある真言宗智山派寺院。山号は西光山。詳しくは西光山無量寿院宥勝寺と称する。本尊は不動明王

歴史

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寺伝によると建仁2年(1202)有荘氏(後に本庄氏)により開創された。始め有道宿弥武承惟行五世の孫児玉党旗頭、有荘太郎家長嫡子小太郎頼家が寿永3年(1184)一の谷の合戦で戦死したので、その妻が菩提を弔うため法印良運を京より迎え一寺を建立、有荘寺と号し自らも得度して妙清禅尼となった。

これより前、有道惟行は沙門空海巡礼の地、浅見山に一寺を建て阿弥陀如来を安置し西光寺と称していた。 延年2年(1337)新田足利の兵火で焼失、天文6年(1538)北条、上杉の戦国兵乱の時無住になった。 荒廃するを惜しみ紀州根来寺より僧頼暁来り、天文24年(1556)西光、有荘の両寺を合併して一寺となし、西光山無量寿院宥勝寺と改称された。 爾来、末寺四十数ケ寺を有する地方有数の名刹となり、慶安元年(1648)良弁僧都の時、徳川家よりご朱印十石を賜る。

文化財

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寺宝

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  • 本尊不動明王 - 木造 (伝 興教大師御作)
  • 胎蔵大日如来像・日輪大師像・阿弥陀如来像 - 木造
  • 荘小太郎頼家形見の古扇面
  • 伝弘法大師筆般若心経一巻
  • チベット砂曼荼羅(十一面観音曼荼羅)
  • 両界曼荼羅
  • 十二天図

その他

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交通アクセス

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脚注

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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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