宥義
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玄音房宥義 | |
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天文15年(1546年) - 元和4年(1618年 ) | |
生地 | 常陸国水戸 |
没地 | 長谷寺 |
宗旨 | 真言宗 |
宗派 | 豊山派 |
寺院 | 長谷寺 |
師 | 宥舜 |
宥義(ゆうぎ、天文15年(1546年) - 元和4年7月17日(1618年9月5日))は、真言宗豊山派の第3世能化である。
生涯
[編集]宥義は、天文15年(1546年)に常陸国水戸(現・茨城県水戸市)に生まれ、15歳で得度した。佐竹義篤の次男[1]。
水戸六地蔵寺の第8世貫主を務め、29歳の春に根来寺に登り、智積院日秀·小池坊頼玄らにつき勉学に励んだ。慶長15年(1610年)、徳川家康の命により宥義が長谷寺喜多坊住持となり、元和2年(1616年)の春、長谷寺月輪院に隠棲した。元和4年(1618年)7月17日に他界した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 阿部隆一『六地蔵寺善本叢刊』汲古書院発刊
- 『六地蔵寺古過去帳』
- 真言宗豊山派宗務所『豊山年表』