宮城県田尻高等学校
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宮城県田尻高等学校 | |
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北緯38度35分52.6秒 東経141度3分13.9秒 / 北緯38.597944度 東経141.053861度座標: 北緯38度35分52.6秒 東経141度3分13.9秒 / 北緯38.597944度 東経141.053861度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
田尻町(1952年 - 1965年) 宮城県(1965年 - 2010年) |
学区 | 北部学区 |
併合学校 |
宮城県小牛田農林高等学校沼部分校 宮城県小牛田農林高等学校大貫分校 |
校訓 | 誠実、規律、勤労 |
設立年月日 | 1952年4月1日 |
開校記念日 | 4月12日 |
閉校年月日 | 2010年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科・商業科 |
学期 | 2学期制 |
所在地 | 〒989-4308 |
宮城県大崎市田尻沼部字中新堀137 | |
外部リンク |
公式サイト (Wayback Machine) |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
宮城県田尻高等学校(みやぎけんたじりこうとうがっこう)とは、宮城県大崎市田尻にあった公立高等学校。2008年度(平成20年度)より昼夜間開講型の単位制高校「宮城県田尻さくら高等学校」に改編され、2009年度(平成21年度)末で田尻高校としての歴史に幕を閉じた。
概要
[編集]校是は「誠実 規律 勤労」。
田尻さくら高校と併存した2年間、文化祭など学校活動は一緒に行なっていた。野球部等は合同チーム「田尻・田尻さくら」を組み出場していた。
進路
[編集]- 就職が約80%、進学約20%。
- 進学のほとんどが専門学校であり、4大や短大への進学は稀である。
沿革
[編集]- 1952年(昭和27年)
- 1954年(昭和29年)5月3日 - 宮城県小牛田農林高等学校沼部分校・大貫分校を統合[1]。
- 1957年(昭和32年)
- 1963年(昭和38年)
- 1965年(昭和40年)7月1日 - 設置者を宮城県へ移管[1]。
- 1967年(昭和42年)9月1日 - 運動部室を落成[1]。
- 1969年(昭和44年)6月1日 - プールを落成[1]。
- 1970年(昭和45年)3月25日 - 商業科特別教室を落成[1]。
- 1971年(昭和46年)5月 - テニスコートを設置[1]。
- 1974年(昭和49年)3月10日 - 柔剣道場を落成[1]。
- 1981年(昭和56年)8月20日 - 管理棟を落成[1]。
- 1984年(昭和59年)9月5日 - 体育館落成記念式典を挙行[1]。
- 1989年(平成元年)4月 - 新制服を制定[1]。
- 2002年(平成14年)11月21日 - 雁翔会館(合宿所)を落成[1]。
- 2008年(平成20年)4月1日 - 生徒募集を停止(同一校舎に宮城県田尻さくら高等学校が開校)。
- 2010年(平成22年)
アクセス
[編集]鉄道
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 宮城県田尻高等学校(Wayback Machine・2010年3月27日アーカイブ分)