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宮崎県立延岡高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮崎県立延岡高等学校
2010年5月撮影
地図北緯32度34分10.9秒 東経131度39分26.5秒 / 北緯32.569694度 東経131.657361度 / 32.569694; 131.657361座標: 北緯32度34分10.9秒 東経131度39分26.5秒 / 北緯32.569694度 東経131.657361度 / 32.569694; 131.657361
過去の名称 宮崎県立延岡恒富高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 宮崎県の旗 宮崎県
併合学校 宮崎県立延岡恒富高等学校
宮崎県立延岡岡富高等学校
校訓 剛健・自治・信愛
設立年月日 1899年(明治32年)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
メディカル・サイエンス科
学校コード D145220360275 ウィキデータを編集
高校コード 45102K
所在地 882-0837
宮崎県延岡市古城町三丁目233番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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宮崎県立延岡高等学校(みやざきけんりつ のべおかこうとうがっこう)は、宮崎県延岡市古城町三丁目に所在する県立高等学校。通称は「延高」(のべたか)。

概要

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歴史
1873年明治6年)旧延岡藩内藤氏によって設立された「延岡社學」を源流とする。旧制・延岡中学校の開校した1899年(明治32年)を創立年としており、2014年平成26年)に創立115周年を迎えた。
学区
宮崎県内全域(旧学区:延岡市中心部・南部)
設置課程・学科
全日制課程 2学科
  • 普通科
  • メディカル・サイエンス科(理数に関する学科)
校訓
「剛健・自治・信愛」- 1926年大正15年)に制定。
校章
花弁と「学問」を表す万年筆のペン先3本と「高」の文字を組み合わせたものとなっている。
校歌
1958年(昭和33年)制定。作詞は渡辺修三(旧制・延岡中学校卒業生)、作曲は近衛秀麿による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「延岡」が登場する[1]
校歌の他に「延高賛歌」がある。作詞は金井總欣、作曲は太田陽・太田洋・藤原愛子、編曲は岩切佳代子による。歌詞は2番まであり、校名は登場しない。
旧校歌
  • 旧制・延岡中学校 - 作詞は工藤正勝による。歌詞は5番まであり、校名は歌詞中に登場しない[2]
  • 旧制・延岡高等女学校 - 作詞は北原白秋、作曲は山田耕筰による。歌詞は4番まであり、各番に校名の「延岡高女」が登場する[3]
  • 旧・恒富高等学校学生歌 - 作詞は甲斐芳一、作曲は柳田育秀による。歌詞は3番まであり、1番に校名の「恒富」、2番に校訓の「剛健・自治・信愛」が入っている[4]
同窓会
「延友会(えんゆうかい)」と称している。

沿革

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前史
旧制中学校(男子校)時代
  • 1899年(明治32年)
    • 4月1日 -「宮崎県立延岡中学校」(修業年限5年:現在の中1から高2に相当)が設置される。 初代校長は山崎庚午太郎。100名に入学を許可。
    • 5月25日 - 開校式を挙行。
  • 1926年大正15年)10月8日 - 校訓「剛健・自治・信愛」を制定。
  • 1927年昭和2年)11月5日 - 創立25周年を記念して図書館が完成。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。
  • 1944年(昭和19年)4月1日 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、中等学校令施行前(昭和16年・17年)に入学した生徒にも修業年限4年が適用される。
  • 1945年(昭和20年)
    • 4月1日 - 学校での授業が停止される。ただし勤労動員は継続される。
    • 6月26日 - 空襲により校舎の大半を焼失。
    • 7月28日 - 高千穂分教場を開設。
    • 8月15日 - 終戦。
    • 8月25日 - 田代分教場を開設。
    • 9月 - 学校での授業が再開される。
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)が行われる。
    • 旧制中学校の募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみ中学校であった。
    • 旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1948年(昭和23年)
    • 3月31日 - 学制改革(新制高等学校の発足)により、旧制中学校が廃止される。
    • 4月1日 - 新制高等学校「宮崎県立延岡恒富高等学校・併設中学校」(男女共学)が設置される。
旧制・高等女学校時代
  • 1901年(明治34年)4月1日 - 女兒教舎が「私立延岡女学校」に改称。
  • 1903年(明治36年)3月 - 廃校となった亮天社跡に移転を完了。校地・校舎のすべてを継承。
  • 1906年(明治39年)8月27日 -「私立延岡高等女学校」に改称。
  • 1922年(大正11年)9月 - 寄宿舎が完成。
  • 1929年(昭和4年)4月1日 - 県立移管により、「宮崎県立延岡高等女学校」に改称。
  • 1943年(昭和18年)9月19日 - 延岡大水害のため校舎が浸水。
  • 1944年(昭和19年)5月1日 - 4年生が日窒化学雷管工場に挺身隊として動員される。
  • 1945年(昭和20年)
    • 4月1日 - 学校での授業が停止される。ただし勤労動員は継続される。
    • 6月26日 - 空襲により校舎の大半を焼失。
    • 8月15日 - 終戦。
    • 9月 - 学校での授業が再開される。
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)が行われる。
    • 高等女学校の募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみ中学校であった。
    • 高等女学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1948年(昭和23年)
    • 3月31日 - 学制改革(新制高等学校の発足)により、高等女学校が廃止される。
    • 4月1日 - 新制高等学校「宮崎県立延岡岡富高等学校・併設中学校」(男女共学)が設置される。
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 公立高校統合・再編により、宮崎県立延岡岡冨高等学校が廃止される。
    • 跡地には、延岡市立岡冨中学校が設置された。
新制高等学校
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 学制改革により、県立の旧制中等学校(延岡中学校・延岡高等女学校・延岡工業学校・延岡商業学校)が統合され新制高等学校2校が発足。
      • 旧制中等学校卒業者(5年修了)を新制高校3年、旧制中等教育学校4年修了者を新制高校2年、併設中学校卒業者(3年修了)を新制高校1年生として収容。
      • 旧4校の併設中学校を継承。併設中学校の在校生が1946年(昭和21年)に旧制中等学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
      • 宮崎県立延岡恒富高等学校」(恒富の読みは「つねとみ」)- 旧制・延岡中学校の校地・校舎に設置される(男女共学)。
        • 旧制・延岡中学校生徒の半数、延岡高等女学校生徒の半数、延岡工業学校生徒全員を収容。
        • 全日制普通課程・工業課程に加えて、定時制夜間部・通信教育部を設置。
      • 宮崎県立延岡岡富高等学校」(岡富の読みは「おかとみ」)- 旧制・延岡高等女学校の校地・校舎に設置される(男女共学)。
        • 旧制・延岡中学校生徒の半数、延岡高等女学校生徒の半数、延岡商業学校生徒全員を収容。
        • 全日制普通課程・商業課程に加えて、定時制昼間部を設置。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月31日 - 併設中学校を廃止。
    • 4月1日 - 公立高校の再編により、上記2校が統合され「宮崎県立延岡恒富高等学校」となる。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 商業課程と工業課程が分離し、宮崎県立延岡向洋高等学校[5]として独立。定時制昼間部の募集を停止。被服科を新設。
  • 1952年(昭和27年)3月31日 - 通信教育部を宮崎県立宮崎大宮高等学校に移管。
  • 1958年(昭和33年)6月1日 - 校歌を制定。
  • 1959年(昭和34年)4月1日 - 「宮崎県立延岡高等学校」(現校名)に改称。
  • 1963年(昭和38年)2月 - 新設の宮崎県立延岡西高等学校の間で合同選抜を開始。
  • 1967年(昭和42年)- 第二グラウンドが完成。
  • 1969年(昭和44年)4月1日 - 定時制課程が分離し、宮崎県立延岡第二高等学校として独立。
  • 1972年(昭和47年)9月 - 体育館が完成。
  • 1977年(昭和52年)2月 - 新設の宮崎県立延岡東高等学校が合同選抜に加わる。
  • 1992年(平成4年) - 家政科の募集を停止。
  • 1995年(平成7年)4月1日 - 普通科理数コースを設置。
  • 1996年(平成8年)3月 - 武道館が完成。
  • 1998年(平成10年)3月 - 弓道場が完成。
  • 2005年(平成17年)
    • この年 - 宮崎県立延岡西高等学校・宮崎県立延岡東高等学校との合同選抜を廃止。
    • 4月1日 - 理数科を設置。
  • 2007年(平成19年)4月1日 - 女子制服を改訂。
  • 2011年(平成23年)4月1日 - 理数科をメディカル・サイエンス科に改称。
  • 2020年(令和2年)4月1日- 文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(開発型)に指定される。

部活動

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著名な出身者

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掲載は五十音順。

交通

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最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停
最寄りの幹線道路

(基本的に日向・門川方面からの通学生は南延岡駅利用する。高千穂五ヶ瀬日之影の生徒は寮、黒岩・北方・北川・土々呂の生徒は自転車通学、バス及び保護者の送迎が多い。)

周辺

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脚注

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  1. ^ 延岡高等学校校歌
  2. ^ 旧制延岡中学校校歌
  3. ^ http://www.miyazaki-c.ed.jp/nobeoka-h/entries/a1040kouka/jyogakkouka.files/enjo.mid 延岡高等女学校校歌]
  4. ^ 恒富高等学校学生歌
  5. ^ 1958年(昭和33年)4月に宮崎県立延岡商業高等学校宮崎県立延岡工業高等学校の2校に分離。
  6. ^ 夢を追った先輩方 後藤勇吉”. 宮崎県立延岡高等学校. 2020年12月9日閲覧。
  7. ^ 巨典の--故郷は遠きにありて思うもの(2)」『夕刊デイリー』夕刊デイリー新聞社、2021年9月24日、8面。
  8. ^ 夢を追った先輩方 若山牧水”. 宮崎県立延岡高等学校. 2020年12月9日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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