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宮川電報電話局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮川電話交換所(かつて宮川電報電話局のあった場所にある)
荻原電話交換所

宮川電報電話局(みやがわでんぽうでんわきょく)は三重県多気郡宮川村にあった日本電信電話公社(現:NTT西日本)の電報電話局東海電気通信局三重電気通信部の管轄下にあった。

概要

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  • 所在地
    • 宮川電報電話局:三重県多気郡宮川村大字小滝西ノ口301-8[1](現在は三重県多気郡大台町小滝)
    • 荻原電話交換所:三重県多気郡宮川村大字江馬(現在は三重県多気郡大台町江馬)

沿革

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宮川村において電話が開通したのは、荻原郵便局で1936年(昭和11年)、領内郵便局および大杉谷郵便局で1939年(昭和14年)のことであったが、電話加入者は役場などに限られ、わずかな世帯であった。

電話の普及を促進するため、日本電信電話公社により、1967年(昭和42年)に荻原地区、1969年(昭和44年)に領内地区に農村集団自動電話が開通し、一般世帯へも普及し始める。

電話交換の自動化の流れに伴い、1977年(昭和52年)に自動式に対応した宮川電報電話局が建設され、各郵便局の電話業務が宮川電報電話局に集約する。

しかし、新規加入の需要が一巡し、料金の自動振替も進み、電報電話局の営業窓口を訪れる顧客が1日数人まで減少したことから、1987年(昭和62年)に営業窓口を廃止し、三瀬谷電報電話局へ統合されることとなった[2][3]

年表

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  • 1967年昭和42年)7月8日 - 荻原農村集団自動電話が開通[4]
  • 1969年(昭和44年)5月6日 - 領内農村集団自動電話が開通[5]
  • 1977年(昭和52年)11月9日 - 宮川電報電話局が開局[6]。大杉谷郵便局の電話交換業務、領内郵便局の電話交換業務および和文電報配達業務、荻原郵便局の電話交換業務と和文電報配達業務の一部を引き継ぐ[7]
  • 1987年(昭和62年) - 三瀬谷電報電話局へ統合[2][3]

参考文献

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  • 『東海の電信電話 -90年のあゆみ-』1962年(昭和37年)10月27日発行、編集:日本電信電話公社東海電気通信局、発行:社団法人 電気通信協会 名古屋支部
  • 『東海の電信電話 第2巻』1974年(昭和49年)3月1日発行、編集:日本電信電話公社東海電気通信局、発行所:社団法人電気通信協会東海支部
  • 『宮川村史』1994年(平成6年)3月31日発行、編集:宮川村史編さん委員会、発行:宮川村
  • 『法令全書 昭和52年11月号』1977年(昭和52年)12月25日発行、編集および発行:大蔵省印刷局
  • 『法令全書 昭和52年12月号』1978年(昭和53年)1月25日発行、編集および発行:大蔵省印刷局
  • 『伊勢年鑑 昭和62年版(1987)』1986年(昭和61年)12月10日発行、発行人:小林正雄、発行所:伊勢新聞社、ISBN 4-900457-12-4

脚注

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  1. ^ 『伊勢年鑑 昭和62年版(1987)』p649
  2. ^ a b 「本年度中に統合 NTT 県下の小規模4局」伊勢新聞 1987年(昭和62年)2月4日付 3面
  3. ^ a b 「小局の窓口廃止へ NTT三重支社」中日新聞 1987年(昭和62年)2月5日付 朝刊 13面 三重総合
  4. ^ 『宮川村史』p786-792
  5. ^ 『東海の電信電話 第2巻』p627
  6. ^ 『法令全書 昭和52年12月号』p520 昭和52年12月19日 日本電信電話公社公示第117号
  7. ^ 『法令全書 昭和52年11月号』p388 昭和五十二年十一月八日 郵政省告示第八百四十七号