宮本武蔵 巌流島の決斗
宮本武蔵 巌流島の決斗 | |
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監督 | 内田吐夢 |
脚本 |
鈴木尚之 内田吐夢 |
製作 | 大川博 |
出演者 |
中村錦之助 (萬屋錦之介) 高倉健 里見浩太郎 (里見浩太朗) 入江若葉 丘さとみ 木村功 浪花千栄子 三國連太郎 片岡千恵蔵 |
音楽 | 小杉太一郎 |
撮影 | 吉田貞次 |
編集 | 宮本信太郎 |
製作会社 | 東映京都撮影所 |
配給 | 東映 |
公開 | 1965年9月4日 |
上映時間 | 121分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
前作 | 宮本武蔵 一乗寺の決斗 |
『宮本武蔵 巌流島の決斗』(みやもとむさし がんりゅうじまのけっとう)は、1965年(昭和40年)9月4日公開の日本映画である。東映製作・配給。監督は内田吐夢、主演は中村錦之助(萬屋錦之介)。富士フイルムカラー、東映スコープ、121分。
吉川英治の小説『宮本武蔵』を原作とした、「内田監督・中村主演の『宮本武蔵』シリーズ」全5部作の最終作。
本作の冒頭において、前4作(『宮本武蔵』・『般若坂の決斗』・『二刀流開眼』・『一乗寺の決斗』)のそれぞれのダイジェストが数分程挿入されている。
第20回芸術祭参加作品。第20回芸術祭賞芸術祭奨励賞。1965年度NHK映画賞最優秀監督賞(内田吐夢)[1]。
スタッフ
[編集]- 製作:大川博
- 監督:内田吐夢
- 原作:吉川英治
- 企画:岡田茂、小川三喜雄、翁長孝雄
- 脚本:鈴木尚之、内田吐夢
- 撮影:吉田貞次
- 音楽:小杉太一郎
- 美術:鈴木孝俊
- 装置:木津博
- 装飾:宮川俊夫
- 録音:渡辺芳丈
- 照明:中山治雄
- 編集:宮本信太郎
- 助監督:鎌田房夫、杉野清史、大串敬介
- 進行主任:福井良春
キャスト
[編集]- 細川忠利(細川家当主):里見浩太郎 (里見浩太朗)
- お通:入江若葉
- 朱美:丘さとみ
- 柳生但馬守宗矩(将軍家指南役):田村高廣
- 林彦次郎(元吉岡道場門弟):河原崎長一郎
- 本位田又八:木村功
- 本阿弥光悦:千田是也
- 岩間角兵衛(細川家家老):内田朝雄
- 小林太郎左衛門(下関の宿屋主人):清水元
- 厨子野耕介の女房:日高澄子
- お杉:浪花千栄子
- お光(角兵衛の姪):三島ゆり子
- 三沢伊織(武蔵の弟子):金子吉延
- 縫殿介(長岡佐渡の近習):神木真寿雄
- 岡谷五郎次(細川家家臣):有川正治
- 北条安房守:中村錦司
- 酒井忠勝(幕閣):北竜二
- 榊原康政(幕閣):高松錦之助
- 本多忠勝(幕閣):那須伸太朗
- 厨子野耕介(刀研ぎ師):中村是好
- 佐助(船頭):嶋田景一郎
- 半瓦弥次兵衛(侠客):中村時之介
- 菰の十郎(半瓦の子分):鈴木金哉
- 半瓦の子分:遠山金次郎
- 秩父の熊五郎(馬喰):尾形伸之介
- 野武士の首領:岩尾正隆
第一部〜第四部ダイジェスト(アヴァンタイトル/ノンクレジット)
- お甲:木暮実千代
- 吉岡清十郎:江原真二郎
- 吉岡伝七郎:平幹二朗
- 壬生源左衛門:山形勲(本編回想シーン含む)
- 壬生源次郎:西村雄司(本編回想シーン含む)
- 祇園藤次:南廣
- 植田良平:香川良介
- 大田黒兵衛:佐藤慶
- 胤舜:黒川弥太郎
- 阿巌:山本麟一
- 大坊主:大前均
- 池田輝政:佐々木孝丸
- 柳生石舟斎:薄田研二
- 木村助九郎:外山高士
- 渕川権六:阿部九州男
- 陶器師:吉田義夫
- 野州川安兵ヱ:小田部通麿(本編回想シーン含む)
- 山添団八:加藤浩(本編回想シーン含む)
- 大友伴立:中村時之介(本編回想シーン含む)
製作
[編集]シリーズの企画者である岡田茂東映京都撮影所所長は[2]、時代劇から任侠路線の切り換えを決断しており[2]、製作に難色を示したが[2]、製作費を削った上で製作を決めた[2]。1965年3月29日にあった製作記者会見でのタイトルは『宮本武蔵・完結編』であった[3]。
キャスティング
[編集]1964年8月に山城新伍とともにハワイから拳銃を持ち帰り[4][5][6]、ヤクザに譲渡した罪で[4][5]、1965年2月に京都地裁から懲役8ヶ月(執行猶予3年)の判決を受けた里見浩太朗は[4][5][7]、『日本侠客伝 浪花篇』以降、実質干されていたが[4]、静岡の禅寺に籠る里見を見た中村錦之助が、内田吐夢監督に里見の起用を進言した[4]。錦之助が主演した『ちいさこべ』や『冷飯とおさんとちゃん』の原作者である山本周五郎が、里見のデビュー当時からのファンで[4]、山本が錦之助に「里見を助けてやれないか」と頼んだといわれる[4]。
撮影記録
[編集]1965年4月、滋賀県饗庭野でクランクイン[3]、1965年6月末、クランクアップ[8]。巌流島の決闘は滋賀県琵琶湖畔の近江舞子を見立てて撮影された[7]。
興行
[編集]東映初の試みとして本格的ロードショーが、一般公開に先立つ1965年7月24日から8月12日までの12日間、丸の内東映のみで本作一本立ての特別興行が行われ[2]、1日平均100万円を割らない大ヒットで、同劇場の興行成績を更新した[2]。1964年6月27日公開の『鮫』でも同様の先行上映をやったが『鮫』は先行上映の後、一般上映に引き継いだが、今回は先行上映の後、24日も間を開けた[2]。
併映作品
[編集]『怪談片目の男』
脚注
[編集]- ^ 宮本武蔵 愛蔵BOX封入特典豪華解説書12P参照 DSTD02074 発売元:東映ビデオ
- ^ a b c d e f g 東映の軌跡 2012, pp. 109–110.
- ^ a b 「『主人錦之助について誤った印象をもたれかねない』離婚記事の波紋と有馬稲子の立場」『週刊明星』、集英社、1965年2月22日号、38頁。
- ^ a b c d e f g 「里見浩太郎の恵まれた"更生"」『週刊サンケイ』1965年2月22日号、産業経済新聞社、45頁。
- ^ a b c 「ピストル⇔暴力団⇔芸能界 黒い霧におおわれた因果関係」『週刊読売』1965年3月7日号、読売新聞社、15頁。
- ^ プレイバック芸能スキャンダル史 ハワイから拳銃を持ち帰った里見浩太朗
- ^ a b 「〔話題〕 五年めの完結編完成 錦之助における人生指南番 宮本武蔵より成長した悟りの弁」『週刊読売』1965年7月4日号、読売新聞社、51頁。
- ^ 「特報離婚後の初仕事にうちこむ裸一貫、錦之助の男ごころ」『週刊明星』、集英社、1965年11月7日号、111頁。
参考文献
[編集]- 東映株式会社総務部社史編纂 編『東映の軌跡』東映、2016年。