宮本洋一
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宮本 洋一(みやもと よういち、1947年5月16日 - )は、日本の実業家、建築技術者。清水建設代表取締役会長。日本建設業連合会会長(代表理事、2021年度就任)。2007年6月から2016年4月まで同社代表取締役社長を務めた。日本国際フォーラム顧問。静岡県沼津市生まれ、東京都出身[1]。
略歴
[編集]1951年 4歳の時に東京都杉並区荻窪へ引っ越した。この頃は泣き虫であったという。小学校5年の時に岐阜県岐阜市へ引っ越し、スパルタ方式の小学校担任の指導で頑健になっていった[2]。
1960年3月、岐阜市立加納小学校卒業。
1963年3月、大田区立田園調布中学校卒業。
1966年3月、東京都立日比谷高等学校卒業[3]。
1971年6月、東京大学工学部建築学科(内田祥哉研究室に在籍[4])を卒業し(東大紛争の影響で6月に卒業)、同年7月 に清水建設へ入社した。横浜営業所に配属され、現場からたたき上げの所長の下で毎日のように残業、休日出勤を行った[5]。
清水建設建築事業本部本部長[6]、耐震営業推進室長、名古屋支店副支店長、首都圏事業本部東京支店副支店長、北陸支店長、九州支店長、常務執行役員、専務執行役員を歴任し、2007年6月、同社代表取締役社長に就任した[1]。2022年11月現在、同社代表取締役会長。
2012年、ミャンマーのヤンゴン事務所を13年ぶりに再開している[8]。
2013年2月22日、日本建設業連合会の理事会で、同年4月より土木本部長に就任することが内定した[9]。
備考
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “宮本洋一”. 企業家人物辞典. 2013年5月12日閲覧。
- ^ “「泣き虫」だった少年時代”. 出版文化社. 2013年5月12日閲覧。
- ^ 宮本洋一 私の履歴書(7)日比谷高校 清水建設会長 「私の履歴書」編、日本経済新聞社、2022年11月7日 2:00
- ^ a b “【経済インサイド】大林・鹿島・大成・清水「スーパーゼネコン社長交代ドミノ」幕開け…3社長が東大建築の“同窓”、濃密人脈で微妙な緊張関係”. 産経ニュース (2015年3月12日). 2015年12月24日閲覧。
- ^ “「スパルタ上司に鍛えられた新人時代”. 出版文化社. 2013年5月12日閲覧。
- ^ “今、若者たちへ” (PDF). 日本経済新聞社. 2013年5月12日閲覧。
- ^ “2008年6月のニュース”. 日刊建設工業新聞 (2008年6月23日). 2013年5月12日閲覧。
- ^ “【清水建、ミャンマーに再進出-13年ぶりヤンゴン事務所を再開”. 日刊工業新聞 (2012年9月13日). 2013年5月12日閲覧。
- ^ “新会長に中村副会長/土木本部長は宮本清水社長/日建連の新執行体制”. 建設通信新聞 (2013年2月25日). 2013年5月12日閲覧。
- ^ “【建築人】お節介かもしれませんが、建築人を紹介するコラムを始めます”. 未来計画新聞 (2009年6月20日). 2013年5月12日閲覧。
参考文献
[編集]- 野崎稚恵ほか『清水建設』(リーディング・カンパニー・シリーズ)出版文化社新書 2008 - 宮本のインタビューが掲載されている。
外部リンク
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