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宮脇修

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宮脇 修(みやわき おさむ、1928年〈昭和3年〉- )は日本原型師実業家株式会社海洋堂の創設者。高知県幡多郡黒潮町(旧大方町)出身。長男は現在の海洋堂専務宮脇修一(みやわきしゅういち)。

経歴

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1928年(昭和3年)、高知県幡多郡大方町(現・黒潮町)に生まれる。中国大陸に渡り15歳で南満洲鉄道に入社するが、日本の敗戦により18歳で日本へ引き揚げる。その後は30種以上の職を転々とするが、長男の宮脇修一が小学校に入学するのを機に、1964年(昭和39年)、大阪府守口市に模型店「海洋堂」を開業した[1]

開業当初は敷地面積1坪半という小さな模型屋だったが、斬新な発想と行動力・高度な造形技術を武器に事業を拡大させ、帆船模型ブームや戦車模型ブーム、ガレージキットブーム、フルタ製菓チョコエッグブーム(食玩ブーム)などを引き起こし、海洋堂を世界的な模型メーカーへと押し上げた。

2005年(平成17年)、第9回文化庁メディア芸術祭功労賞を受賞[2]

95歳となった2023年(令和5年)現在も海洋堂の企業活動に参画しており、海洋堂フィギュアミュージアム黒壁龍遊館海洋堂ホビー館四万十海洋堂かっぱ館・海洋堂ホビーランドの館長を務めている。

また、父親が創建し、自身にも縁のある高知県高岡郡四万十町打井川の馬之助神社[3]寄進をし、管理を行っている[4]

2023年(令和5年)11月9日、四万十町打井川に子供や高齢者の遊び場となる「かっぱランド」を創設する構想を掲げ、海洋堂本社と自宅のあった大阪府門真市から四万十町に移住した[5]

著書

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  • 『創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある 海洋堂物語』(2003年5月20日、講談社) ISBN 978-4062118736
  • 『海洋堂の50年を振り返って』(2014年4月18日、海洋堂)

脚注

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  1. ^ 館長室”. 株式会社奇想天外. 海洋堂シマントミュージアムビレッジ. 2023年5月19日閲覧。
  2. ^ 宮脇修プロフィール”. 文化庁メディア芸術祭. 文化庁. 2023年5月19日閲覧。
  3. ^ 馬之助神社”. 海洋堂かっぱ館. 海洋堂シマントミュージアムビレッジ. 2023年5月24日閲覧。
  4. ^ “馬之助神社改築は「長年の夢」。海洋堂創業者・宮脇修さんら地鎮祭 高知・四万十町”. 高知新聞. (2023年5月23日). https://www.kochinews.co.jp/article/detail/652720 2023年5月24日閲覧。 
  5. ^ 「四万十を変えたろう」海洋堂創業者の宮脇修さんが四万十町に移住 老若の遊び場整備へ”. 高知新聞プラス. 高知新聞 (2023年11月11日). 2024年1月17日閲覧。