宮脇幸彦
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宮脇 幸彦(みやわき よしひこ、1921年1月24日 - 1994年5月10日[1])は、日本の裁判官、法務省民事局参事官(検事)、学習院大学教授(一時、法学部長)、弁護士
経歴
[編集]- 1921年(大正10年)1月24日 宮脇幸治(当時裁判官)・菊代の三男として岡山市門田屋敷で出生
- 1938年(昭和13年)3月 広島県立広島第一中学校 卒業
- 1940年(昭和15年)3月 広島高等学校文科乙類 卒業
- 1941年(昭和16年)4月 東京帝国大学文学部独逸文学科 入学
- 1942年(昭和17年)4月 同大学法学部法律学科 入学(転部)
- 1943年(昭和18年)12月 臨時徴収現役兵
- 1944年(昭和19年)9月 除隊、東京帝国大学法学部法律学科 卒業
- 1945年(昭和20年)1月 三菱工作機械 入社
- 1945年(昭和20年)6月 三菱重工業へ転社
- 1945年(昭和20年)8月 広島市への原子爆弾投下で被爆(両親が爆死、父宮脇幸治は当時広島市で公証人)
- 1948年(昭和23年)1月 三菱重工業 退社
- 1948年(昭和23年)12月 高等試験司法科 合格
- 1949年(昭和24年)3月 岡山地方裁判所事務官(同月末依願免本官)
- 1949年(昭和24年)4月 司法修習生
- 1951年(昭和26年)4月 東京家庭裁判所兼東京地方裁判所 判事補
- 1955年(昭和30年)7月 長野地方裁判所兼長野家庭裁判所諏訪支部 判事補
- 1958年(昭和33年)10月 法務省民事局 局付検事
- 1964年(昭和39年)1月 法務省民事局 参事官
- 1972年(昭和47年)4月 東京地方裁判所 判事(部総括)
- 1975年(昭和50年)7月 学習院大学法学部 教授
- 1979年(昭和54年)4月 同大学 法学部長( - 1981年3月)
- 1991年(平成3年)3月 同退職
- 1991年(平成3年)4月 調布法律事務所 弁護士
- 1994年(平成6年)5月10日 咽頭癌のため死去[1]
著書
[編集]- 『強制執行法(各論)』1978年10月発行(有斐閣 法律学全集 36-Ⅱ)