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宮道潔興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宮道 潔興(みやじ の きよき、生没年不詳)は、平安時代前期の官人歌人。名は潔樹とも記される[1]主計頭宮道弥益の子とする系図がある。官位正六位下[2]越前権少掾

経歴

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従兄弟(または兄弟)の宮道列子の孫にあたる皇太子・敦仁親王に帯刀舎人として仕え、敦仁親王即位醍醐天皇)後の昌泰元年(898年内舎人に任ぜられる。昌泰3年(900年内膳典膳に遷り、延喜7年(907年紀貫之と交替して越前権少掾となり地方官に転じた。

勅撰歌人として『古今和歌集』に和歌作品1首が収められている[1]

官歴

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『古今和歌集目録』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ a b 『勅撰作者部類』
  2. ^ 中田憲信『皇胤志』1
  3. ^ a b 蜷川校下史編纂委員会編『蜷川の郷土史』所収「蜷川家諸流大系図」(蜷川校下自治振興会、1968年)

参考文献

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