寄場組合
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この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2019年10月) |
寄場組合(よせばくみあい)は、1827年(文政10年)に作られた組織。改革組合村とも[1]。
貨幣経済の浸透により、在郷商人・地主の力が増大。これにより農民は土地を失って離村し、荒廃地が各地で増えた。没落農民が、特に北関東で多発したことで、江戸周辺の治安は悪化。無宿人・博徒と呼ばれる者が日に日に増えていった。幕府はこれを受けて1805年(文化2年)、関東取締出役(八州廻りとも言われる)を新設。勘定奉行の配下で代官所の手付・手代から選任され、水戸藩領を除く関八州を幕領・私領の別なく廻村し、目明かしを利用して犯罪人の逮捕に当たる[1]。
この関東取締出役の、いわば補佐役として、1827年(文政10年)、幕領・私領の別なく近隣の村々で組合をつくって小惣代をおき、その組織をいくつかまとめて大惣代をおいて、共同して地域の治安・風俗の取締にあたらせる寄場組合をつくらせた[1]。