富士急行7000形電車
富士急行7000形電車 | |
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モハ7032+クハ7062 | |
基本情報 | |
運用者 | 富士急行 |
種車 |
31系 (モハ7033, クハ7063) 32系 (モハ7031, モハ7032) 50系 (クハ7061, クハ7062) |
改造年 | 1969年, 1971年[1] |
改造数 | 6両 |
運用開始 | 1970年 |
廃車 | 1983年1月22日[2] |
投入先 | 富士急行線 |
主要諸元 | |
編成 | 2両 (1M1T) |
軌間 | 1,067 mm (狭軌) |
電気方式 | 直流1,500 V |
編成定員 |
220名 (1969年譲受車) 240名 (1972年譲受車) |
車両定員 |
100名 (モハ7031, モハ7032) 120名 (モハ7033, クハ7031-クハ7033) |
自重 |
43.1 t (制御電動車) 29.1 t (制御車) |
最大寸法 (長・幅・高) |
17,000 × 2,900 × 4,200 mm (モハ7031-モハ7033) 16,800 × 2,900 × 3,886 mm (クハ7061, クハ7062) 17,000 × 2,900 × 3,880 mm (クハ7063) |
車体長 |
16,200 mm (モハ7031-モハ7033, クハ7063) 16,000 mm (クハ7061, クハ7062) |
車体幅 | 2,800 mm |
車体 | 半鋼製 |
台車 |
TR22 (制御電動車) TR11 (制御車) |
主電動機出力 | 110 kW |
歯車比 | 2.52 |
制御装置 | CS-5 |
制動装置 |
空気ブレーキ 手ブレーキ |
備考 | 出典は『富士山麓史』 |
富士急行7000形電車(ふじきゅうこう7000がたでんしゃ)は、1970年 (昭和45年) に登場した富士急行の電車である。
概要
[編集]通勤輸送の増大と沿線住民のマイカー普及に対処するため[1]、1969年(昭和44年)および1971年(昭和46年)に日本国有鉄道から車体長17m級旧形国電を譲り受けた車両である。制御電動車と制御車各3両の計6両が在籍した。形式番号の7000は、本形式が1970年に使用開始されたことに因む。
1982年に小田急電鉄より譲受した5700形により置き換えられ、翌1983年1月22日付で6両全てが廃車となった[2]。
車両概説
[編集]モハ7030形
[編集]クハ7060形と編成を組む片運転台の制御電動車で、台車はTR22形、制御装置はCS-5形[注釈 1]だった[3]。
1969年に日本国有鉄道32系クモハ14007, クモハ14009を譲受し、それぞれモハ7031, モハ7032とした。2両は横須賀線の電車化に際して新造された車両で、国鉄での廃車時には飯田線で使用されていた。片側2扉で、車内はクロスシートだった。定員は100名であった[3]。モハ7031は前面上部の雨樋が直線のまま残されていた[2]。それぞれクハ7061, クハ7062と編成を組んだ[3]。
1971年に31系クモハ12050を譲受し、モハ7033とした。この車両は当初首都圏電車線用にモハ31形として製造され、国鉄での廃車時には青梅線で使用されていた。当初は片運転台で、戦後単行運転用に両運転台化されたが、富士急行で入線に際して再び片運転台化する改造を行った。定員は120名であった。クハ7063と編成を組んだ[3]。
クハ7060形
[編集]モハ7030形と編成を組む制御車で、台車はTR11形だった[3]。
1969年に50系クハ16425, クハ16467を譲受し、それぞれクハ7061, クハ7062とした。2両は1935年以降木造車体の台枠や走行機器を流用し半鋼体化したクハ65形として製造された車両で、国鉄での廃車時には南武線で使用されていた。片側3扉で、車内はロングシートだった。定員は120名であった。それぞれモハ7031, モハ7032と編成を組んだ[3]。
1971年に31系クハ16013を譲受し、クハ7063とした。この車両はモハ7033と同様にモハ31形の制御車であるクハ38形として製造され、国鉄での廃車時には青梅線で使用されていた。定員は120名であった。モハ7033と編成を組んだ[3]。
これらはいずれも、入線前に窓のアルミサッシ化などの更新工事が行われている[要出典]。