富山県立富山いずみ高等学校
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富山県立富山いずみ高等学校 | |
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北緯36度40分28.3秒 東経137度13分14.2秒 / 北緯36.674528度 東経137.220611度座標: 北緯36度40分28.3秒 東経137度13分14.2秒 / 北緯36.674528度 東経137.220611度 | |
過去の名称 |
富山県高等女学校 富山県立富山高等女学校 富山県立富山女子高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 富山県 |
校訓 |
心明るく 誠実であれ 行い正しく 勤勉であれ 志高く 聡明であれ |
設立年月日 | 1901年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
総合学科 看護科 |
専攻科 | 看護科 |
学校コード | D116220150096 |
高校コード | 16115C |
所在地 | 〒930-8081 |
富山県富山市堀川小泉町一丁目21番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
富山県立富山いずみ高等学校(とやまけんりつ とやまいずみこうとうがっこう、英: Toyama Prefectural Toyama Izumi High School)は、富山県富山市堀川小泉町にある公立の高等学校。
設置学科
[編集]概要
[編集]- 2002年(平成14年)までは県内最後の女子高であったが、いずみ高等学校と改称され、共学となった。校名は2001年(平成13年)9月3日に決定したもので、学校の所在地(堀川小泉町)や同校の同窓会名(清泉同窓会)に共通して使われている「泉」を、優しいイメージの平仮名で「いずみ」としたもの[1]。
- 2002年(平成14年)度に共学となったが、女子高時代の印象が強く、また看護科があるため、女子生徒の比率が高い。2012年(平成24年)度の高校全体の男女比は117:361である。
- 看護科は毎年、生徒数40名に対して2002年(平成14年)度から2010年(平成22年)度までのすべての年で男子生徒は5名未満である。
- 教師も生徒同様、女性教師が多い。
- 専攻科看護科の生徒は総合学科、看護科の二つの学科とは別の制服である。
校歌
[編集]沿革
[編集](沿革節の主要な出典は公式サイト[3])
年表
[編集]- 1901年(明治34年)
- 1907年(明治40年)4月1日 - 富山県立富山高等女学校と改称[4]。
- 1917年(大正6年)- 富山市堀川小泉町に移転[4]。
- 1919年(大正8年)- 富山高等女学校の女生徒らが、女子師範学校の女生徒、引率者らとともに女人禁制の立山登山を行う[5]。
- 1948年(昭和23年) - 学制改革に伴い、富山県立富山女子高等学校として新発足。高等学校統廃合実施により閉校。
- 1956年(昭和31年)- 富山県立富山女子高等学校を復活開校(普通・被服・商業課程)。
- 1958年(昭和33年)- 定時制商業課程を併置。
- 1959年(昭和34年)- 清泉同窓会を設立。
- 1961年(昭和36年)- 清泉会館竣工。
- 1963年(昭和38年)- 被服科を廃止し、家政科を設置。
- 1965年(昭和40年)- 衛生看護科を設置。
- 1969年(昭和44年)- 定時制課程募集停止。
- 1976年(昭和51年)- 商業科募集停止。
- 1996年(平成8年)- 家政科を生活環境科に学科改編。
- 2002年(平成14年)- 校名を富山県立富山いずみ高等学校と改称し、男女共学となる(普通科・生活環境科を廃止し、総合学科を設置。衛生看護科を廃止し、専攻科2年を含めた5年一貫間教育の看護科を設置)。
- 2005年(平成17年)- 専攻科看護科1回生入学。
部活動
[編集]- 運動部 - 野球、サッカー、陸上競技、バスケットボール、テニス、ソフトテニス、ハンドボール、ソフトボール、バレーボール、バドミントン、卓球、弓道
- 文化部 - 演劇、合唱、茶道、写真、書道、吹奏楽、日本舞踊、美術、放送、新聞
- 同好会 - JRC